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「日本近代初等教育発祥の地」(東京最初の小学校)

東京最初の小学校6校のうちの一つ

(最初の記事に誤りがありました。最初の6校発祥地すべてに記念碑などがあるように読めましたが、愛日小学校発祥地には何もありません。他の5校にはなんらかの記念物があります。2021.2.28)

★ジャンル【学校】
★場所 港区芝公園1-1
★最寄駅 都営三田線御成門駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「わが国の近代初等教育は、明治五年(一八七二)の学制発布に先立ち、同三年に東京府が府内の寺院を仮校舎として、六つの小学校を設立したことに始まり、その第一校は、六月十二日に開校した。第一校のおかれた源流院は、江戸時代初期からの増上寺子院で、当時、境内北辺の御成門東側のこの地にあった。大訓導(校長)村上珍休、教師、助教と生徒中の秀才が生徒を教えた。授業は主として句読(音読)・習字・算術で、生徒は八歳から十五歳までとし、机・硯箱・弁当は各自持参した。この小学第一校は、明治四年に、西久保巴町(虎ノ門三丁目)へ移り、その後、校名も、第一大学区第二中学区第一番小学、鞆絵尋常高等小学校、鞆絵国民学校、鞆絵小学校などと変わった」

★解説
 芝公園4号地と日比谷通りをはさんだ向かいの歩道脇にあります。かつて松下電器のビルがありましたが今はオフィスビルとなっています。
 国民全員に教育を施す最初の近代教育制度である学制は、1872年(明治5年)に制定されますが、それに先立ち各地で公立学校が設立されました。学制よる学校はほぼ一斉にできたので数限りなくありますが、中央区で「第一番官立小学 阪本小学校」を紹介しています。
 東京府では、1870年(明治3年)6月に6つの小学校が開校し、その第一校がここに造られました。他の5校は第二校が市ヶ谷洞雲寺に(現・番町小学校)、第三校が牛込万昌院に(現・愛日小学校)、第四校が本郷本妙寺に(現・湯島小学校)、第五校が浅草西福寺に(現・育英小学校)、第六校が深川長慶寺に(現・深川小学校)となります。
 この源流院と、第三校があった牛込万昌院、第四校があった本妙寺は移転してしまいましたが、本妙寺跡には解説板があり、洞雲寺、西福寺、長慶寺は小学校開校時と同じ場所に寺が残り、記念碑があります。
 今年はどの学校も創立150周年に当たるはずですが、合併や制度変更もあり、今年を150周年として祝うところはありません。商店や大学などでは出来るだけ創立を長く遡るようにしているところが多いので、なんだかもったいない気もします。
 校長の村上珍休は元小田原藩の武士のようで、漢学者として名高かった人でした。その後東京府第一中学(後の日比谷高校)の初代校長にも就任します。ただこのころはまだ江戸時代の寺子屋とほとんど同じ内容で、運営・設立主体が東京府というお役所になった、という程度です。江戸時代と同様、机や硯は持参、というところにそれが見て取れます。
 6校を見ても分かる通り、最初の小学校はその多くがお寺に併設されました。明治政府は「学校を作れ」と号令をかけますが資金はほとんど出さず、

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