「インターフェロン治療発祥の地」
ウイルス性肝炎の治療薬
★ジャンル【病院】
★場所 〒阿佐谷南2-31-12
★最寄駅 高円寺駅
★碑文
特になし
★解説
高円寺駅から見ると阿佐ヶ谷駅方面、馬橋通りとエトワール通りが交わる先に清川病院があります。その入り口脇の「肝臓病研究センター」の看板に付記されており、「1981〜肝炎ウイルスキャリアクリニック」との前置きがついています。
インターフェロンとは病原体やがん細胞などを攻撃するタンパク質で、ヒトなどの細胞内で分泌されます。獲得免疫による、特定の対象を攻撃する抗体と異なり、入ってきた異物を区別せず攻撃するものです。
インターフェロンは1954年に、日本の長野泰一(ながの やすいち)と小島保彦(こじま やすひこ)が発見しました。その後1980年代になってがんやウイルス性肝炎に効果があることがわかり、治療に用いられるようになりました。
日本では飯野四郎(いいの しろう)が「インターフェロン治療の先駆者」と言われ、「ウイルス性肝炎治療の父」とも呼ばれています。清川病院で長く院長を務め、ウイルス性肝炎治療に取り組んできました。また2002年に起こされた薬害肝炎(血液製剤でC型肝炎に感染した患者が国や製薬会社に起こした裁判)で原告・患者側を支援し、その後の国による救済策の成立に貢献しました。
インターフェロンは非常に高価な薬でしたが、遺伝子組み換え技術の発達で多数の患者を救えるようになっています。しかしインターフェロンは副作用も強く、現在ではインターフェロンを用いない治療法が主流になりつつあります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?