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「浩々洞発祥之地」

明治末期、真宗大谷派改革者の私塾

★ジャンル【宗教】 
★場所 文京区本郷6-20-5
★最寄駅 東京メトロ東大前駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治中期、近角常観師の活躍に対して、当時の東本願寺新法主・大谷光演(彰如)師が、この地(本郷森川町)を贈られた。その後、常観師が本山の命で西洋事情視察に渡欧することになり、折しも新法主教育 と、かねての悲願であった真宗大学東京移転を実現するために、東京に出た清沢満之師 は、ここを借りて生活を始められた(一八九九年六月・満之三七歳)。そこに、学生が寄宿して「浩々洞」という名の共同体が生まれたのである(一九〇〇年九月)。 そこから、雑誌『精神界』が発刊された(一九〇一年一月)。常観師が帰国されて(同年6月)、浩々洞は本郷東片町へ移転したのだが、この地が、浩々洞発祥の記念すべき地なのである」

★解説
 本郷通りを挟んで東大本郷キャンパスの反対側、古めかしい旅館「鳳明館」のそばにあります。
 清沢満之(きよざわ まんし)は真宗大谷派(東本願寺)の僧侶で哲学者です。名古屋市出身。幼少時から非常に優秀で15歳で僧侶となりますが、京都の東本願寺の学校に入って学び、その学校から留学生という形で東大に入って、文学部哲学科を首席で卒業します。
 別項で紹介した井上円了(いのうえ えんりょう)による哲学館創設時には評議員になり、講師も務めますが、宗派の要請で京都に戻り、真宗大谷派の経営する中学校の校長となります。まだ24歳でした。
 その後、宗派の改革運動を始め、除名されたりもしますが復帰し、宗派の教育機関の改革を進めようとします。1899年に同派の真宗大学(現大谷大学)の東京移転実現と、若き法主大谷光演(おおたに こうえん)の教育係として東京に移り、この際、この地に住み始めます。
 ここにはもともと近角常観(ちかずみ じょうかん)というやはり真宗大谷派の僧侶が住んでいました。京都での清沢の教え子でした。その近角がヨーロッパに派遣するする留守を清沢が預かる形でした。
 その住居に、真宗大学の学生らが寄宿する形で始まったのが浩々洞です。1901年には雑誌「精神界」を発行、また毎週日曜日に「精神講話」を開くな

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