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「解脱会最初の道場」

「解脱会」本部が最初の道場跡

★ジャンル【宗教】
★場所 
★最寄駅 東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「解脱会の開祖である解脱金剛尊者(俗名岡野聖憲)は昭和八年、この場所に最初の道場を設けられました。建坪二十一坪総二階のこの道場は、当時四谷区荒木町六番地であったことから「六番地」と呼ばれ、尊者のご指導の拠点として、全国の解脱会会員たちに、こよなく親しまれました。道場の一階には2つの玄関がついており、向かって左には四畳半の事務室が、右には三畳の台所と四畳半の部屋が、部屋の奥には十二畳ほどの板の間がありました。そして二つ並んでいる急勾配の階段を昇ると、二階には六畳の間が二つあり、右側が御神前の間、左側が尊者がご指導を行われる部屋になっていました。こうした大変つつましい道場でしたが、草創期の萌え出ずる息吹の中、尊者のご慈愛に満ちたご指導によって後に解脱会の中心になって活動する人々が、ここから次々と生まれ育って行ったのです。」

★解説
 新宿通りの四谷と四谷三丁目の間、津の守坂上を降ってすぐの場所に解脱会本部があり、その裏に碑があります。
 開祖岡野聖憲は法名であり、実名は岡野英蔵といいます。現在の埼玉県北本市に1881年(明治14年)に生まれ、小学校を出てから丁稚奉公を始め、ついには東京日本橋で海運会社を立ち上げるまでになります。しかし1925年(大正14年)に病を得るなどしたことから宗教に関心を持ち、1929年(昭和4年)に生家近くで啓示を受けました。解脱会はこの年を立教の年とし、啓示を受けた場所には「発祥の地」として「御霊地」が設けられています。
 その後実業家の地位を捨て、京都の醍醐寺で出家し、さらに独自の教義を編み出して信者を獲得していきます。資料によっては立教の年に自宅近くに道場を作った、との記述もありますが、当事者が「最初の道場」と書いているので、ここも「発祥の地」の部類としておきます。
 しかし現在も同じ場所に本部がありますが、広大な「御霊地」を定めているせいか、この碑は本部裏の実に目立たない場所にあります。
 教義は仏教と神道の双方の特徴を持ちます。岡野は皇室至上主義、国粋主義的な主張を持ち、戦前は戦闘機を国に寄贈するなど戦時体制を支援しまし

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