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「州崎球場跡」(「伝統の一戦(巨人・阪神)」誕生の地))

ペナントレース始まるも3年で廃止

★ジャンル【スポーツ】 
★場所 江東区新砂1-2-2
★最寄駅 東京メトロ東西線東陽町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「洲崎球場(別称・洲崎大東京球場)は、日本プロ野球草創期の野球場で、昭和11年(1936)2月に「職業野球」参加のため結成された野球チーム「大東京軍」の本拠地でした。プロ球団結成への気運は、昭和9年開催の日米野球で高まりました。同年12月に大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)が結成されると、東京、大阪、名古屋に相次いでプロ球団が誕生し、昭和11年には7球団によるプロ野球公式戦が開始されました。しかし、東京にはプロが使用できる野球場はなく、在京球団の本拠地建設が急がれました。そのため、洲崎球場はわずか3カ月ほどで完成し、秋のシーズンの最後を飾る「東京第二次リーグ戦」が開催されました。シーズン終了後には、巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王座を獲得しました。この試合は、日本プロ野球史上屈指の好ゲームといわれ、洲崎球場が最も輝いた時でした。現在でも「伝統の一戦」といわれる両チームの熱戦は、ここから誕生しました。日本プロ野球の歴史を刻んだ洲崎球場は、昭和13年の3試合を最後に閉鎖されました。わずか3年とはいえ、日本プロ野球界繁栄の礎を築いた貴重な野球場跡として記録に残すものです」

★解説
 東陽町駅から東京都の江東運転免許試験場に向かい、道路を挟んだ反対側のオレガノ本社ビル前にあります。掲げてある地図からすると、球場はオレガノだけでなく、両隣の日本デジタル研究所などや裏の竹中工務店も含む広大な敷地だったようです。
 碑文に「大東京軍」本拠地とあるように、洲崎球場大東京軍のために建設されました。大東京軍は、新愛知新聞社(現中日新聞)が親会社であった東京の國民新聞が親会社で、新愛知新聞名古屋軍(現中日ドラゴンズ)などとプロリーグを結成しようと計画して創立した球団です。1936年2月のことでした。のちに松竹ロビンズとなりますが、1953年に大洋ホエールズに吸収合併され消滅しました。
 すぐにも試合をとのことで、東京ガスの用地を使い工事は急ピッチで進められ、1937年には92試合も開催されましたが、埋立地の球場であったため満潮時にはグラウンドに海水が入り込むことがあり、しばしば試合が中断されたといいます。
 このような使い勝手の悪さから、後楽園球場(現東京ドーム)が完成すると試合は激減し、碑文にもあるように年間3試合しか行われなくなり、1943年ごろには解体されてしまいます。
 足かけでわずか3年しか使われなかったため、戦後は正確な場所すらわか

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