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「開拓使仮学校跡」(北海道大学発祥の地)

北海道大学は東京が発祥の地

★ジャンル【学校】
★場所 港区芝公園3−2
★最寄駅 都営三田線御成門駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「北海道大学の前身である開拓使仮学校は、北海道開拓の人材を育成するため増上寺の方丈の25棟を購入して、明治5年3月(陰暦)この地に開設されたもので、札幌に移し規模も大きくする計画であったから仮学校とよばれた。生徒は、官費生・私費生各60名で、14歳以上20歳未満のものを普通学初級に、20歳以上25歳未満のものを普通学2級に入れ、さらに専門の科に進ませた。明治5年9月、官費生50名の女学校を併設し、卒業後は北海道在籍の人と結婚することを誓わせた。仮学校は明治8年7月(陽暦)札幌学校と改称、8月には女学校とともに札幌に移転し、明治9年8月14日には札幌農学校となった」

★解説
 芝公園4号地の北の端にあります。
 ここは要するに北海道大学発祥の地です。碑文にあるように、ここで養成された人間ごと札幌に移転し、それが札幌農学校から北海道大学になります。ただ大学では、札幌農学校創立の碑を建学の日としています。しかしこの碑の建立者は「北海道大学東京同窓会」と「社団法人東京エルム会」とあり、大学関係者も発祥の地と認識しているようです。東京エルム会とは同窓会の法人格組織で同一と言ってもいいと思います。北大の同窓会は各地で「エルム会」と称しています。エルムはニレ(ハルニレ)の木のことで北海道を象徴する木です。
 この場所は江戸時代は碑文には「方丈」とありますが、増上寺の本坊、本ぶ寺務所でした。敷地は、碑のあるの芝公園4号地と御成門小学校から、道路を挟んだ北側の御成門中学校あたりまで張り出しており、開拓使仮学校もほぼそのまま受け継いでかなり広大でした。
 1872年4月に開校し、初代校長は箱館戦争を戦った旧幕臣の荒井郁之助(あらい いくのすけ)で、戦後許されて新政府に出仕し、その知識を買われて開拓使となります。しかし150年も前とはいえ、碑文からでも現代からするとかなり人権無視な側面も見えてきますね。女学校生徒は卒業後は北海道に移住して結婚するのが義務とは凄いです。
 さらに問題なのは仮学校に作られた「開拓使仮学校附属北海道土人教育所」です。これは北海道の開拓には、先住民であったアイヌの協力やアイ

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