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「猿江地名発祥之地」

「猿」の名のつく武者が流れ着いたという

★ジャンル【地名】 
★場所 江東区猿江2-2-17
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄住吉駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)に於いて、数々の奉勝をたてた家臣に『猿籐太』(さるのとうた)と言う武将がいた。武勇の士と讃えられる人物であったが、此の地の入江にて力尽きてしまった。これを知った地元の漁師たちが、当社の境内に塚を建てて手厚く祀ったという。此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の地名になったと伝えられる。以上の縁起を後世に残すために、茲に顕彰の碑を建立したものである」

★解説
 地下鉄住吉駅の最寄り出口から、小名木川にかかる小松橋方面に向かう途中、5分ほどの猿江神社境内にあります。
 先の解説文は碑の下に掲げてありますが、「猿籐太」の表記が「籐」と「藤」と混在しています。また日本語として聞いたことがない言葉が入っていたり、伝承を膨らませている部分もあります。
 江戸時代の伝承では、入江に鎧を着た武士の死骸が流れ着き、毎夜光を放っていた。近隣の住民が調べてみると、鎧に「猿藤太」と書かれ、法華経を持っていたといいます。江戸時代にはこの猿江神社の別当寺(管理する寺)は妙寿寺という日蓮宗の寺で、その関連でこのような伝説が生まれたのでしょう。また神社は明治初年まではもう少し西にあり、そこには流れ着いた伝説の入江の名残の池がありました。しかし関東大震災後に埋められてしまいます。
 妙寿寺は江戸時代初期に上野に創建した寺で、その後寛永寺の拡張とともに移転させられ、その際に猿江稲荷のそばに移りました。しかし関東大震災で大きな被害を受けたため、世田谷区の烏山寺町に移転します。
 猿江という地名は江戸時最初期にすでに見られ、猿江稲荷も村の鎮守としてその頃にはあったようです。しかし伝説の言うような1000年前には、人が住むどころか確固たる陸地だったかどうかも疑わしいです。
 震災後は社殿を先進的なコンクリート造りで再建しました。どうもその頃

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