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「日本経緯度原点」(国立天文台発祥の地)

海軍、内務省、文部省の縄張り争いの末、誕生

★ジャンル【社会】

★場所 港区麻布台2ー2
★最寄駅 東京メトロ日比谷線神谷町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「ここには、わが国の経度・緯度を決める基準となる日本経緯度原点が設置されています。この原点の経度・緯度の数値は、大正7年(1918)に文部省告示によって確定した「東経139度44分40秒5020、北緯35度39分17秒5148」でしたが、平成13年の測量法の改正により、最新の宇宙測地技術を用いて新たに「東経139度44分28秒8759、北緯35度39分29秒1572」と定められました。この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていましたが、明治21年になって、赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学付属東京天文台が置かれました。原点の位置は、天文観測に用いられた機器である「子午環」の中心位置にあたります。その後東京天文台は大正12年に三鷹に移転しましたが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地理測量の原点として利用されています。日本経緯度原点は、日本の測地座標系の原点であるだけでなく、わが国の天文測量が始まったところとして、科学技術史及び文化史上意義深い場所です」

★解説
 ロシア大使館脇、東京タワー側の小道を入った行き止まり右側にあります。
 天文台の始まりは実は海図造りからでした。1871年(明治4年)に設置された海軍部は、国防に必要な沿岸の測量、海図の作成のため同年に水路局を設けます。測量のためには基準点が必要ですが、その確定には正確な天体観測による座標決定が必要でした。
 数学者、測量学者で海軍に入り海図作成の中心となっていた柳楢悦(やなぎ ならよし)は、そのための天文台建設を構想していましたが、たまたま1874年12月9日に金星の太陽面通過という珍しい天体現象が日本で観測できることになり、アメリカなど各国から観測依頼が日本政府に来ました。
 柳はこれを好機とし、観測の受け入れと同時に、観測に同行することで欧米の進んだ観測技術を学び、さらに天文台を整備することを政府に進言しました。その結果、この地に観象台が設置されました。南側が崖で大きく開け、天体観測に好適な場だったのでしょう。今ではビルの谷間でしかも夜でも煌々と明るいのでとても天体観測はできませんね。この観測の結果、日本各地の経度が、世界の基準点となるグリニッジ天文台の経度と直接リンクしたのです。
 その後東大にも観象台が設置され、また当時内陸の地図製作を行っていた

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