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「溜池発祥の碑」

外堀も兼ねた江戸初期の飲料用ダム

★ジャンル【地名】
★場所 港区赤坂1−1−1
★最寄駅 東京メトロ溜池山王駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備を兼ねた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には 鯉、鮒を放し蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられ、江戸後期には日枝神社より赤坂四丁目に通じる料金を取った銭取橋が架設され 「麦とろ家」数軒と出店で、にぎわったと云われる。明治八年より埋め立てに着手し四十四年に完成したが、明治二十一年十二月には赤坂溜池町が創立され、明治四十二年に市電が開通し、大正十年五月に 正式な町会として 溜池町会が発足し、溜池角の小松ビルは 元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り東京オリンピック以後はビル街として発展し、町会名も「赤坂溜池町会」と改称し今日に到り、地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした」

★解説
 場所は外堀通りと首都高が交差する溜池交差点北東角の植え込み内にあります。外堀通りの北側なので千代田区かと思いきや、ここは港区。かつての江戸城外堀の多くの部分が区の境界となっていますが、この付近では外堀北側、すなわち江戸城側の堀の縁が境界になってます。つまり外堀通りの少し北側の街区までが外堀の水面、溜池だったのです。
 碑にはただ「上水源として作られ」としか書いてありませんが、上水源を作るとは、要は川をせき止めてダム湖を作ったのです。1590年に徳川家康(とくがわ いえやす)が江戸に入ると、急に大勢の家臣団が移り住んだためまず水に困りました。そこですぐに水を確保できる溜池を江戸城周辺にいくつも作ったのですがその一つがこの「溜池」です。
 江戸時代以前は、今の四谷三丁目交差点あたりを源流とする川が、現在の赤坂御所を横切り、赤坂見附から虎ノ門を通り汐留まで流れて東京湾に注いでいました。その川をせき止めたダムは、特許庁前の外堀通りあたりに作られました。最近できた新虎通り、環状2号線の虎ノ門病院前あたりから特許庁方向を見ると、そちらが盛り上がって坂になっているのがわかります。
 本格的なダムが作られたのは1606年(慶長6年)のこと。和歌山藩浅野家

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