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千代田区と新宿区、稀有な明示ポイント

23区全区境踏破第5回

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さて前回は市ヶ谷駅まで行きました。
区境は靖国通りが通る駅前の土橋の中間あたりから、土橋脇の釣り堀を通り、外堀の水面真ん中を通っていきます。
そこは歩けないので、中央線や総武線が走る側の外堀土手上を行きます。
前に書いたように、この土手上も外濠公園です。
というかこちらが歴史的に古くメイン。

市ヶ谷駅あたりからもすっと桜が植えられており、花見の名所です。
しばらく行くと明治時代に作られた外堀を渡る土橋、新見附橋があります。
土手側のたもとに「東京市 外濠公園」との右書きの石標があります。
新見附橋を過ぎると右に法政大学。
さらに逓信病院があり、隣のサクラテラスあたりで土手は歩けなくなり、降りた道のすぐ先がかつての牛込見附門です。

ここには大きな石垣が早稲田通りの両側に残っています。
そして交番の裏には「阿波守」と刻まれた巨石が転がっています。
この門は1636年に徳島藩の蜂須賀忠英(はちすかただてる)によって築かれたのです。
その証を石垣の中に残していました。
門跡から外堀を跨ぐこちらの土橋も江戸時代の構築です。
市ヶ谷門のようにわかりやすくはないですが、橋の両側に江戸時代の石垣が残っています。
落ちないように土橋の両側の歩道から下をのぞいてください。

区境は堀の真ん中を進んできたので、ここは橋の真ん中を突っ切っているはず・・・なのですがあれあれ?地図を見るとそうはなっていません。

千代田区・新宿区の地図によると、なんと区境は土橋手前のへりで千代田区側に直角に曲がります。
さらに土手下の水面ギリギリまで進んでまた直角に曲がり、土手沿いに飯田橋駅と駅前の飯田橋セントラルプラザ・ラムラの方に進みます。
ここは外堀が埋め立てられて陸地になっています。
両区の地図を見るとラムラの最初の建物は新宿区です。
ところが、ラムラの途中で区境はまたも向きを変え、今度は新宿区側に進み、駅西の外堀通りまで屈曲して進んでまた直角に曲がります。
そこから目白通りが通る橋としての「飯田橋」を過ぎると外堀が復活し、ここで左側から文京区の境が伸びてきて3区の境となります。

こうした地図上の区域の境では、3つの自治体が境を接する地点ができます。
4つ以上があるかというと、これはかなり特殊な例でないとないです。
それは4つ以上の区域の境が同一地点で交わる場合です。
日本にはたぶんないです。
世界ではアメリカのユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナ州の境が直交して、4州境となっているのが有名で、これぐらいではないでしょうか?
これからも3区境は頻繁に出てきます。

さて、この場所はかつての外堀中間線を外れてどうしてこのように屈曲しているのでしょう。
実はこのようになったのは昭和のことです。

区境屈曲部にある飯田橋セントラルプラザ・ラムラは、外堀を埋め立てて建てられました。
建物は高層の住宅棟と事務所棟が旧外堀の上に細長く並んで建っています。
区境は外堀中心線を貫いており、この区境をそのままにすると細長い建物の表と裏が別々の区になります。
固定資産税やら通学区域やら、とても面倒なことになりそうです。
そこで千代田区と新宿区が話し合い、住宅棟は千代田区、事務棟は新宿区となるように区境を変更したのです。

そうです、自治体の境って、合意があれば変更できるんです。
これからもそうした場所が多くはありませんがいくつか出てきます。

そしてこの施設の面白いところは、両区の境が通る場所に「区境ホール」という空間を作り、さらに区境を示すプレートまで作ってしまった点です!
前回、区境はバーチャルと書きましたが、ここでは極めて稀有な例ですがリアルな存在になっているのです。

中央下に見える金色の菱形金色のひし型が区境を示すプレート。画像中央が区境ライン。

区境踏破ルートとしては、牛込門跡から降ってラムラの中を通り抜けるのがいいでしょう。
ちょうど途中に「区境ホール」があります。

皆さんも飯田橋に用事がある際は、ぜひお立ち寄りください。
滅多にないモニュメントですので。

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