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「氷川神社発祥之地」

室町時代創建の神社創立地

★ジャンル【宗教】
★場所 練馬区桜台6-32-18
★最寄駅 東京メトロ有楽町線氷川台駅

★碑文
「古老口碑に御花園天皇の長禄元年に渋川義鏡が足利成氏との戦に向かう途中 此処石神井川の急流に出会ふ淀む処に泉渾々として湧出る 水際の井戸即ち御浜井戸と称す 暫く兵士を休めてその傍らに祠を建て須佐之男尊を祀り九月五日武運長久を祈る この流水を水田に用い一帯を良田となす 近郷の農家の崇敬の的となり親しまれた 後 海老名左近住するに及び観世音を安置せる観音山 即ち今の地に遷さる 霊験あらたか 五十一字の総鎮守となる 現今祈年祭に合せて毎年四月九日 祭神の御里帰りと称し 神社より此処え神輿渡御が行われる 行列は神幸旗を先頭に五色の吹流し 太鼓の響にのって氏子の人等の道中歌 此処に神輿を奉安し 獅子の舞で祓い清め 子孫繁栄五穀豊穣を祈る雌雄二羽の鶴の舞が行われ その夜神社で田遊びの行事が行われる由緒ある処です」

★解説
 氷川台駅1番出口を出て成増方面に向かいます。最初の十字路を左に行って石神井川を渡り二つ目の角、三叉路を右に入ると左側の公園のような広場にあります。「おはま井戸」との碑もあります。
 ここに言う氷川神社は、碑の場所から500メートルほど北東にある氷川台の氷川神社のことで、通称「大氷川」と言います。氷川台の地名はこの神社に由来するのですね。碑文の「御花園天皇」はもちろん「後花園天皇」の間違いです。また「五十一字」も「五十一宇」でしょう。ちょっと恥ずかしいです。
 碑文にある長禄元年とは1457年のことで、渋川義鏡(しぶかわ よしかね)は将軍足利義政(あしかが よしまさ)の命を受けて、足利政知(あしかが まさとも)を擁して古河公方・足利成氏(あしかが しげうじ)を討伐に向かいます。歴史的には実際に古河公方を攻めたのは1459年とされます。上杉氏らと共に埼玉県の五十子で合戦が行われますが、上杉氏側が大敗します。
 その後神社はこれら関東の内乱の一環である太田道灌(おおた どうかん)と豊島氏一族の合戦である江古田原の戦いで焼失し、荒廃しました。江戸時代中頃に碑文にある海老名左近が復興し、現在地に祀りました。
 しかしその後もこの地にあった湧水の場所が神社の創建地として記憶され、里帰りの毎年行われていたようです。碑文中にもあるように地域の重要な農業用水源であり、大事にされていたのでしょう。

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