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「氷川下セツルメント草創の地」

戦後に盛んになった地域ボランティア運動

★ジャンル【社会】 

★場所 文京区千石2-1-6
★最寄駅 東京メトロ駅茗荷谷駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1953年この地にセツルメント・ハウスが設立された。戦災で疲弊した地域で健康・生活・文化の向上を求める活動は、当施設開設の礎となった」

★解説
 茗荷谷駅から筑波大学東京キャンパス脇の湯立坂をくだり、千川通りに出たら左行ってすぐ、介護老人保健施設「ひかわした」前の植え込みにあります。
 セツルメント(セトルメント)とは英語のsettlementのことです。元々は「移住」を意味し、知識人や学生が貧しい地域に移り住んで共に暮らし、生活改善や啓蒙を行う運動を指しました。工業化社会の進展で起きる労働者の貧困問題を解決しようとイギリスなどで始まり、日本にも大正時代前後に入ってきました。
 戦後に盛んになり、1980年ごろまでは日本の大都市の各地で、学生などを中心に盛んでしたが、敗戦後の極貧層が高度成長とともに少なくなり、さらに行政による福祉事業が充実してくるとその必要性が薄れてきます。その結果今ではほとんど姿を消しています。
 この「氷川下セツルメント」は1952年に日本医科大の学生が始めたセツルメントが、1953年に移ってきて始まったものです。「氷川下」の名は、北側の丘に簸川神社があるためです。
 当初は医療活動や法律相談、料理講習、勉強会、子ども会などさまざまなボランティア活動が、零細な印刷業者やそこで働く労働者が多かったこの地域で行われていました。その後活動の中心は診療所、病院の運営となり、

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