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「写真工業発祥の地」(コニカミノルタ源流の一つ)

写真学校まで作った小西六創業者

★ジャンル【産業】
★場所 新宿区西新宿2−11−4
★最寄駅 都営大江戸線都庁前駅もしくは西新宿五丁目駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「この地は、明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が、写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。同社は、さらにカメラの製造も始め、写真フィルムの国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真王国となっているが、その礎は、この地で築かれたものである」

★解説
 新宿駅西口、新宿中央公園奥の管理事務所近くの植え込みにあります。
 このあたりは江戸時代は台地の縁にあたり、玉川上水の豊富な水を神田川に流して神田上水の足しにする水路が通っていました。またその一部を西側の谷に流して人工的に滝を作り、さらに下流でせき止めて池を作っていました。この池は十二社の池と呼ばれ、江戸時代から風光明媚な観光地で、料亭などが並んでいました。その名残が十二社通りの名などに残っています。今では考えられないですね。
 そして明治になると、この水路の流れに水車を置きその力で機械を動かす工場が作られました。それが六桜社でした。
 六桜社の元は小西屋六兵衛商店といい江戸時代は麹町で薬問屋をしていました。明治に入り六代目となる杉浦六三郎(すぎうら ろくさぶろう、のち六右衛門)は、1872年(明治5年)に撮った自分の写真に非常に感銘を受け、翌年に写真用品の取り扱いを始め、さらには1879年(明治12年)、家業とは独立して日本橋に「小西本店」を開業し、写真用品などを商います。そしてついにはその生産にも取り組んだのです。
 最初に試みたのが技術的難易度の低そうな乾板や印画紙で、発売は1903年(明治36年)でした。また同年には国産初のカメラ「チェリー手提暗函」を発売します。そして1940年(昭和15年)には国産初のカラーフィルム「さくら天然色フヰルム」を発売、常に日本の写真業界のトップを走っていました。
 この「さくら」ブランドのフィルムは当時は大変高額で、主に軍やメディ

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