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「入谷朝顔発祥之地」
江戸時代に大流行した栽培地
★ジャンル【文化】
★場所 台東区下谷1-11
★最寄駅 JR、東京メトロ駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
「入谷の朝顔は明治2年近傍の寺院で鉢植を造って、人々の縦覧に供したのが、そのはじまりとされているが、15、6年ごろから朝顔は天下の名物となった。その後大正2年次来長らく中絶されていたが、第2次世界大戦後地元の復活運動によって昭和25年7月から再開され、今や東京の年中行事の1つとなっている。ついては、われらは往時の盛事をしのび、入谷朝顔の発祥の地として、ここに記念碑を建立するものである。入谷から出る朝顔の車かな 子規」
★解説
国道4号入谷交差点の南西角にある三角地帯上にあります。今も朝顔市が開かれる入谷鬼子母神真源寺のすぐそばです。
まあしかし手作り感満載の碑(?)です。コンクリート製の擬木のようなものに「入谷朝顔発祥之地」とやはりコンクリートを盛り上げた文字で書いています。碑文もコテか何かで荒く彫ったままで、表現も?なものがありますが、地元のみなさんが一生懸命作った感にあふれています。その上に、これは台東区で設置したのでしょうか、やや不釣り合いな朝顔をデザインしたモニュメントが乗っています。
昭和56年、1981年の設置ですから40年前ですね。朝顔市は当時も今も同じ場所で続いていますから、「発祥の地」というのをあえてアピールすることもないのですが、まあいいでしょう。
朝顔は奈良時代から平安時代にかけて中国から伝来しましたが、当時は薬草で、効能があって「牛を牽いてきて交換の謝礼とした」との由来から「牽牛子」(けにごし)と呼ばれていました。奈良時代ごろに「朝顔」と書かれている花はキキョウなど別の花を指したようです。
長く薬用でしたが、江戸時代になって花が観賞用となり、交配による変異が大きいことから、八重咲きや花びらが細かく裂けたものなど、信じられな
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