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「東京病院発祥の地」(慈恵医大附属病院発祥の地)

創立者高木の個人病院だった慈恵会附属病院

★ジャンル【病院】
★場所 港区西新橋3−19−18
★最寄駅 都営三田線御成門駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「明治二十四年高木兼寛 東京病院をこの地に開き 大正十一年本大学付属病院に移管され昭和三十七年慈恵大学病院と改称す」

★解説
 慈恵医大病院の旧外来棟(現A・B棟)玄関左にあります。
 慈恵医大は中央区の発祥の地でもご紹介した通り、銀座が発祥です。1881年(明治14年)、高木兼寛(たかぎ かねひろ)らが成医会講習所として発足させ、翌1882年(明治15年)に増上寺子院である天光院で有志共立東京病院を開院します。天光院は今も同じ場所にあり、「浄土宗近代教育発祥の地 」となっています。
 翌1883年(明治16年)にその少し北、元東京府病院の建物をそのまま譲り受けて移転します。本来ここで開院予定だったのですが、東京でコレラが流行するなどして、移転が伸びてしまい、天光院は仮住まいでした。
 この病院は発足当初から皇室との関係が深く、多額の下賜金をもらったり、皇族が総裁になったり、また「慈恵」の名も昭憲皇太后からいただいたものです。また海軍の全面バックアップで運営されていましたが、それは創設者の高木兼寛が海軍軍医で、ロンドンの聖トーマス病院医学校を最優秀成績表彰で卒業するなど優秀であった上、のちに海軍軍医最高位の軍医総監になるなど、海軍の医療面を仕切っていたからです。
 さて東京病院は1891年(明治24年)、有志共立東京病院とは別個に高木個人の病院として設立されました。しかし高木の死後、東京慈恵会医院医学専

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