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「明徳小学校発祥之地」

今は無き小学校の記念碑

★ジャンル【学校】 
★場所 墨田区東駒形2-21-12
★最寄駅  都営浅草線本所吾妻橋駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
特になし

★解説
 駒形橋袂の五叉路から南東方向に少し入った場所にある本久寺というお寺の境内にあります。
 このお寺は江戸時代以前、戦国時代の末期創建と伝えられており、以来場所が変わっていないという江戸・東京では珍しい由緒ある寺です。
 そのような寺だからでしょうか、明治になってこの地域に最初の近代的小学校ができる際、そのさきがけとの位置付けの寺子屋が、1872年、学制公布の年に境内に設けられました。
 学校自体の開校は1875年5月14日で、この時はすでに学校専用の用地に移っていたようです。現在の本所中学校の用地です。戦後まもなく本所区内の学校を再建する際に、明徳小学校の用地は中学校用地となってしまい、明徳小学校は廃校となります。
 本所区と向島区が合併してできた墨田区地域には、戦前は40の小学校(国民学校)がありましたが、そのうち23もの学校が全焼してしまいます。そしてその多くが廃校になりました。
 戦前の最盛期には、墨田区にあたる地域には48万人が住んでいました。しかし空襲で焦土となったこの地域の人口は、敗戦直後には17万人にまで激減します。当然子供の数も少なくなり、資金もない中、多くの学校の再建が放棄されました。

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