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「藤倉電線 千駄ヶ谷工場発祥の地」(現「フジクラ」千駄ヶ谷工場跡)

組紐から始まった電線作り

★ジャンル【企業】 
★場所 渋谷区代々木3-20
★最寄駅 新宿駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
特になし

★解説
 新宿駅から甲州街道を西に向かい、文化学園大学の敷地内の一番手前のところを建物の下を潜って進むと左側にあります。「千駄ヶ谷」との地名が付いていますが、現在の感覚では新宿か代々木ですね。
 「藤倉電線」は1992年に社名変更して「フジクラ」となっています。世界有数の電線製造メーカーでしたが、近年は主力商品が、光ファイバー(世界6位)やその融着接続機製造(世界首位)、携帯・デジカメの電子基板製造(世界3位)などとなっており、「電線」という名にはとどまらなくなっているためです。
 「フジクラ」の創業者は藤倉善八といいます。1843年に現在の栃木県佐野市の比較的豊かな農家で生まれましたが、農業の傍らのさまざまな家業がうまくいかず、維新後の1875年に江戸に出て精米業を営みます。しかしこれもうまくいかず、現在の千代田区神田淡路町一丁目に転居した頃、妻のいねが、家計を助けるための内職として、1881年ごろから「根掛け」作りを始めます。
 「根掛け」とは、元々は女性の髪の根元を結う「元結」の一種でしたが、装飾性を増すために色付きの絹糸や金糸銀糸を組紐のように編んだものが出回っていました。贅沢なものではガラス玉や真珠などを糸で繋いだものもありました。善八が作ったのは組紐の機械を使うもので、創意工夫を凝らしたため評判となり、一家は一躍豊かになります。
 そんな中、善八は日本橋でのアーク灯(電気街灯)の点灯を見物し、いたく感動し、電線作りをこころざします。当時の伝染の絶縁被覆は、まだゴム

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