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「第一番官立小学 阪本小学校」

「小学校発祥の地」というわけではないのですが

★ジャンル【学校】
★場所 中央区日本橋兜町15-18
★最寄駅 東京メトロ茅場町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「中央区立阪本小学校は、明治四年(1871)の文部省設置及び明治五年(1872)の「学制布告」により、明治六年(1873)三月、「第一大学区 第一中学区 第一番官立小学 阪本学校」として創立、同年五月七日に開校式が挙行された。 我が国の公立学校の創生期において「一、一、一」を冠した小学校は日本中でも阪本小学校だけであり、「一番学校」としての伝統と歴史を引き継いでいる。 明治二十八年(1895)に附属幼稚園が開園された。 現校舎は、細川藩下屋敷跡に立地。大正十二年(1923)関東大震災後、昭和三年(1928)三月に落成した。尚 文豪・谷崎潤一郎、元宮内大臣・石渡荘太郎、元一橋大学長・山中篤太郎、歌舞伎名優・左団次、杵屋六左衛門ほか、多数を輩出している。」

★解説
 明治政府は近代国家建設に必要な国民皆教育を実現するため、1872年(明治5年)に日本最初の近代的学校制度である「学制」を定め、翌年から全国に学校を開設しました。全国を7つの大学区、239の中学区、42451の小学区に分け、それぞれに大学校、中学校、小学校を設置する計画でしたが、制度が変わるまでの間に大学校は作られませんでした。
 当時の学制は小学校が上等・下等4年ずつ、中学校も上等・下等3年ずつという制度です。小学校は12558校が開校しましたがそのうちの1校がこの阪本小学校でした。ですから「学校の始まり」ということであれば、全国に1万以上もあったわけですが、その中で「第一大学区の第一中学区の第一小学校」という「一、一、一」であることを誇りとして伝えてきたようです。
 開校以来150年近いという最古級の学校であり、政府が全国に命じて初めて作らせた学校であるのも間違いありませんが、実は近代教育制度における最古の学校かというと、実はそうとも言い切れないところがややこしい点です。
 というのも、東京では国が命じて行なわれた学校設置以前に、1870年に東京府が6つの小学校を設置していて、このうち5つの学校が今も存続しているからです。古さでいうとそちらの学校の方が古いのです。
 また震災復興建築で建てられた校舎をつい最近まで使っていましたが、惜しくも解体され、現在新校舎を建築中です。この解体新築工事に伴い、写真の銘板は現在ありませんが、木製の案内板は仮設校舎の校庭に建っています。新校舎が完成した際には、以前の銘板か、新しくなったものが掲げられ

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