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「ドラム缶発祥の地」

女性ジャーナリストが発明したドラム缶

★ジャンル【産業】 
★場所 江東区亀戸1-5
★最寄駅 JR亀戸駅、錦糸町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「わが国におけるドラム缶の製造は、昭和4年日本石油(株)下松製油所で自家用として生産したことに始まるといわれているが、その後昭和7年3月、先進的な事業家本野吉彦が合資会社日本ドラム罐製作所を設立し、この地に我が国初のドラム缶製造専門工場を建設し、商業生産を開始した。スチール製のドラム缶がアメリカで発明されてから僅かに30年後のことである。以後長い間この工場はわが国ドラム缶製造の中心として活躍したが、日本経済の高度成長に伴う需要量の増大と技術の進歩に対応するためには新立地による新鋭工場の建設が不可欠となり、当時のわが国最初のドラム缶工場はその使命を終え昭和48年6月閉鎖されるに至った。日本ドラム罐製造所は、昭和49年10月製鐵ドラム株式会社を合併し日鐵ドラム株式會社として新たな出発をしたが、平成6年、その発足20周年を迎えるあたり、ドラム缶製造工場発祥の場であるこの地に、日鐵NDタワーを 含む「NDプラザ」をその記念として建設した」

★解説
 JR亀戸駅と錦糸町駅のほぼ中間、どちらからも徒歩10分ほどの、京葉道路南側の横十間堀川端にある日鉄ドラムの敷地内にあります。
 この発祥の記事を書いているといつも思うのですが、自動車・鉄鋼・造船などといういわば花形産業の歴史には多くの注目が集まるのですが、その足元を支える、隙間を繋ぐ産業がないと、産業全体はうまく回らないのですよね。
 ドラム缶製造もそうした産業の一つです。製油や石油化学はいまも最重要産業ですが、その流通を支えてきたドラム缶なしにはこのような発展はありませんでした。
 19世紀末に石油の利用が始まるとその運搬手段が問題になってきます。当初は木樽が使われていたそうですが寒暖の差に弱く、20世紀に入ると金属樽が登場します。しかしこれは液漏れが多いものでした。
 この欠点を改良したドラム缶ができたのは1903年、発明者はエリザベス・ジェーン・コクランというアメリカの女性でした。この人は元々はネリー・ブライという筆名で知られるジャーナリストで、72日間で世界を一周する当時の世界記録企画の達成者として有名になりました。その後富豪と結婚し、夫が経営する鉄工会社で発明したのがドラム缶でした。これでコクランは大

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