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「川柳発祥の地」
実は人名だった「川柳」
★ジャンル【文化】
★場所 台東区蔵前4−37−8
★最寄駅 都営地下鉄蔵前駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
「宝暦7年(1757)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、逐には文芸の名をもって呼ばれ、今日に至る川柳隆盛の礎を開く。本年その250年に当たって後学相諮り、一碑を建てて開祖の遺業を顕彰し、永く歴史に留めんと祈念するものなり」
★解説
都営大江戸線蔵前駅を降り、春日通りを御徒町方面に向かいます。少し先の新堀通りを左に曲がったところに碑があります。碑の横に植えられた「柳」の木が目印です。
川柳はみなさんご存じの通り、五・七・五の音を持つ日本語の短詩です。この名は実は人物名で、この川柳を始めた柄井川柳(からい せんりゅう)から来ています。五・七・五という音の数は俳句と同じですが、季語がいらない、切れ字がいらない、などが川柳と俳句の違いとご記憶の方も多いでしょう。
しかし川柳は俳句のルールを省略して生まれたものではなく、実は俳句と同様、それ以前の室町時代から流行していた連歌の中から生まれました。
連歌は最初に発句という五・七・五の句を詠み、それに七・七、五・七・五、七・七・五・七・五・・・とえんえんと句を連ねていくものですが、この発句が独立したものが俳句です。
川柳は先に七・七の下の句を詠んでからさかのぼって上の句の五・七・五を考えるという「前句付け」というもののなかから生まれたものです。柄井川柳はその審査の権威で、代々この町の名主を務める家柄でした。
その人気は高く、1765年に発刊した前句付けの名句を集めた「誹風柳多留」は大ベストセラーとなります。このため「柄井川柳が評をした前句付
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