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「定火消発祥の地」

江戸時代の「消防署」跡地

★ジャンル【歴史】
★場所 新宿区市谷田町1−4
★最寄駅 JR、東京メトロ市ヶ谷駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「万治元年(一六五八)、新たな消防制度として江戸に誕生した定火消の屋敷のひとつがこの市谷左内町二十一番地および市谷田町一丁目地内に置かれました。屋敷内には火の見やぐらが立てられ、定火消役の旗本以下、与力六人、同心三十人、火消人足およそ百人が火事に備え、ここに初めて火消しの常駐する場所がつくられました」

★解説
 市ヶ谷駅から外堀を渡り、市谷見附交差点を右に進んだ武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスビルの脇に立っています。
 この「発祥の地」もちょっと難ありの地です。
 江戸時代にここに定火消屋敷があったのは間違いありません。そしてここはおもしろい場所です。実は解説柱の立っている前の道は江戸時代そのままの火消屋敷に通じる道です。さらにこの道は袋小路になっており、この道から行ける一帯が火消屋敷だったのですが、そうした敷地の形がそっくりそのまま残っているのです。明治の初期に跡地がそのまま憲兵隊の屯所になったことも、土地が残った理由かもしれません。
 しかし江戸の歴史に詳しい方はご存じのように、実は定火消屋敷1か所ではありません。明暦の大火で江戸の町が灰燼に帰したのを反省して翌年に作られた定火消は当初4カ所に置かれ、徐々に拡大して最大時には15か所ありました。その後財政難で10に減らされ、8代将軍徳川吉宗の時代には町火消が作られて消化の主役がそちらに移っていきます。
 もちろん定火消がなくなったわけではありませんが、町火消の活躍とともに定火消は町人地に出動しない、江戸城外には出動しないなど活躍範囲を狭めていくのです。さらに幕末は対外防衛などに人数を割かれ、最終的に1組にまで減らされてしまいました。
 ではここは最初に作られた場所なのだろう、と思いきや実はそうですらな

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