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「公立学校発祥の地 新井学校跡」(足立区公立学校発祥の地、西新井小学校の前身)

足立区最初の学校で西新井小学校の源流

★ジャンル【学校】
★場所 足立区西新井1丁目26
★最寄駅 東武大師線大師駅

★解説文
「新井学校は、足立区内における最初の公立学校で、明治七年(一八七四)一月、ここ西新井村六三番地(当時の番地)如法寺本堂を仮校舎として開設された。正式名称を第一大学区第五中学区第四番公立小学新井学校という。生徒五十名での発足であり、教員には二十四歳の岐阜県士族杉野直治が就任した。新井学校から興野村・本木村・宮城村・沼田村・鹿浜村・谷在家村・入谷村・伊興村・島根村・堀之内村に十一の分校(本木村に二校)が誕生したが、分校の誕生により生徒数が激減したことや、維持費用の捻出に難があり、明治十年七月に隣の谷在家村にあった淵江小学校に合併され廃校となった。しかし卒業生から新井学校再興の要望が出て、翌年四月、如法寺内に校舎を確保した。その後不幸にして明治十二年八月二十七日、新井学校と如法寺が出火全焼したため、学校は民家を仮用し、如法寺は廃寺となった。この時、西新井村八五二番地(当時)居住の近松松次郎氏から学校敷地の寄附があり、新井・淵江両校を合併して校舎を建設し近松学校と改称して明治十三年四月に開校した。これが西新井小学校の前身である。昭和五十九年(一九八四)年十一月、足立区登録記念物とした」

★解説
 有名な西新井大師の裏門を出て前の道を進みます。突き当たりを左に行き、左側の道路沿いに石柱と解説板が建っています。
 解説文で詳しく紹介されていて、もう書くことないくらいですね(笑)。最初の先生の名前やその後の校地寄付者の住所まで出ているとはすごいです。
 新井学校から別れた分校ですが、沼田以外は現在も足立区の町名として残っています。沼田村は現在の江北や谷在家あたりです。小学校としては伊興、島根、鹿浜、淵江、宮城、本木がその名を残しています。
 解説になるように明治の当初の学校は、政府は設置を命じるものの費用は地元の負担でした。ですから解説に書かれた近松さんのような篤志家の寄附が頼りで、こののち1923年(大正12年)になって校舎を移転するのですが、この費用は村民からの寄付で賄いました。もうすぐ昭和という時期にです。驚きですね。
 またこの近松さんは西新井の大恩人で紐立っていますが、実はどういう人かよくわかっていません。どうも寄付して間もなく上野に転居したようです。土木業者で財を成したという話もあります。
 近松さんが寄付した土地は現在の西新井第一小学校北側の土地ですが、1923年

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