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「たきび」のうた発祥の地

歌詞思わせる、作詞者居住地そば

★ジャンル【文化】
★場所 中野区上高田3-26
★最寄駅 西武新宿線新井薬師前駅

★解説文
「今も人びとに歌い継がれる「たきび」のうたは、平成十九年(二〇〇七)文化庁の「日本の歌百選」に選出されました。この童謡の作詞家、巽聖歌(本名野村七蔵一九〇五〜一九七三)は岩手県に生まれ、北原白秋に師事し、多くの優れた児童詩を残しました。聖歌は、この詩が作られた昭和五、六年(一九三〇、三一)頃から約十三年の間、萬昌院功運寺(ばんしょういんこううんじ)のすぐ近く、現在の上高田四丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら「たきび」のうたの詩情をわかせていたといわれています。歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていくなかで、けやきの大木がそびえ、垣根の続くこの一角は、今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう」

★解説
 新井薬師前駅南口を左に向かい、「五中つつじ通り」に出たら右の路地に入ります。少し歩くと垣根の立派な大きなけやきの木が並ぶ旧家屋敷に出ます。その角を左、右と進むと入り口があり、その脇に解説板が立っています。
 解説にある通り、巽聖歌(たつみ せいか)は萬昌院功運寺のほぼ門前、ここから距離にして500メートルほどのところに住んでいました。家から新井薬師前駅まで行こうとすると、どうもここが通り道になるようです。
 解説板の立つ旧家は古くからあったようで、今のような竹垣も明治からこうした姿だったと言います。「たきび」の歌詞の「垣根の曲がり角」は確かにあったのです。筆者は勝手に生垣と思っていましたが竹垣だったのですね。そしてケヤキの落ち葉でたきびもしていました。サザンカはどこにあったのでしょうか。今はよくわかりませんが、私が夏に行ったせいかもしれません。冬に行けば赤い花がどこかに咲いているかもしれません。
 この詩はNHKの依頼で作られ、1941年に子供向けラジオ番組のテキスト「ラジオ小国民」に発表されました。9月になって作曲家の渡辺茂に作曲が依頼され、12月9日から放送されました。
 しかしその日は真珠湾攻撃の翌日。軍から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」

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