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「東京都立紅葉川高等学校 跡地」

風雅な名前の学校名の由来は?

★ジャンル【学校】
★場所 中央区日本橋兜町14-2
★最寄駅 東京メトロ茅場町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「東京都立紅葉川高等学校は、昭和三年四月、当地にあった日本橋女子高等小学校内に、東京市日本橋区楓川専修女学校として発足した。当時、日本橋地区の女子教育の充実、発展を切望する地域の要請を請けて、設立されたものである。 以来、戦前、戦後を通じて全日制課程九千三百余名、定時制課程二千四百余名もの多くの有為な人材を社会に送り出してきた。 校名の由来は、皇居内の紅葉山を水源とする「もみじ川」と「日本橋川」の合流点に位置した当地に因み、楓川の名が用いられたものである。 昭和五十九年に着手された都立紅葉川高校の、江戸川区内への移転・改築事業の完了に当り、創立以来六十六年の長期にわたり、本校の充実・発展に尽力された多くの関係者、地域の人々に感謝の意を表し記念碑を設置する。」

★解説
 現在は警視庁中央警察署が建っている敷地の北側植え込み内に碑があります。
 現在、紅葉川高校は江戸川区の臨海町にあります。近くには新左近川という川が流れていますが、江戸川区の海のそばで、新左近川が近いということで、どこにも紅葉川が出てこないのを不思議に思っている関係者も多いのでしょうね。
 移転に至った経緯はよくわかりませんが、以前の敷地は、高校があるにはやや狭く、グラウンドなどを確保するには少々無理があったのではないかと想像します。
 移転は1986年に行われ、しばらくは移転前の校舎も使われていましたが、1994年に閉鎖、完全移転しました。
 「紅葉川」の名ですが、「もみじがわ」と読みます。しかし名前の由来となった、現在の首都高下にあった水路は「楓川」と書き、主流の読み方は「かえでがわ」です。しかしこの「楓川」の読み方は、現在でも「もみじがわ」も混在しています。
 碑文には「皇居内の紅葉山を水源」とありますが、まあかなりこれはこじつけというか、楓川も江戸城や皇居のお堀とつながっているにはいますが、それは「世界の海はつながっている」に等しい言い方で、「もみじ川」が皇居を水源、とはとても言えないです。また日本橋川と楓川の合流点は江戸橋あたりで、これもかなり遠いです。
 今は警察署になりましたが、実ははるか以前の明治初年にも坂本町警察署がありました。その後学校用地になり、警察は近くにあった新馬橋たもとに移り新馬橋警察署となりました。それが統合で中央警察署となり、さらに元の地に移転してきたのです。
 これはこの周辺が、江戸時代から民有地が多かった中央区で貴重な官有地

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