「動輪の由来」(東京鉄道教習所、東京鉄道中学、芝浦工大高校跡地)
鉄道マンや子弟が学んだ文教地区だったルミネ
★ジャンル【学校】
★場所 豊島区西池袋1-11
★最寄駅 池袋駅
★碑文
「ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
当時の所在地 東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋
敷地および建物 約三七〇〇〇平方米の敷地に校舎、大講堂、寄宿舎など約一〇〇棟の建物があった。
存在した時期 大正一三年(一九二四年)〜昭和二九年(一九五四年)
またこの地は鉄道開通五〇年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鐡道中学が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和五七年まで存在していた場所でもある。
存在した時期 大正一三年(一九二四年)〜昭和五七年(一九八二年)
これらの施設は昭和二〇年四月一四日の東京大空襲で一旦消失した。なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である」
★解説
池袋駅西口のルミネ出口を出ると、左手の植え込み内に機関車の大きな動輪が置いてあります。
鉄道教習所の起源は古いです。1909年に鉄道院職員の技術習得、人格養成機関として設立されました。その後改正を経て、1919年には職員以外にも開放されます。1922年には教育内容を充実させ、旧制専門学校、旧制大学並の学校となりますが、すぐに廃止されてしまいます。その後1939年になって正式な学校となり、名称も「鉄道教習所」となります。
それまで校地は、当初は現在の日比谷あたりに設置され、1924年、成蹊学園が移転した跡地に移ってきます。つまり組織の起源としては日比谷が発祥ですが、「鉄道教習所」の創立地はここです。
しかし1948年、戦前の教育体系を変革する中で鉄道教習所は鉄道業務の実務だけを学ぶ機関とすることになり、通常の学校教育内容は廃止され、本部は国分寺に移って1954年にはこの場所は閉鎖されます。
1961年には鉄道学園と改称され、国鉄の分割民営化後は、JR各社の「社員研修センター」となっています。
鉄道中学は1922年に設立され、当初は現在の大手町にありました。関東大震災
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