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「中央商業学校発祥の地」

エスペランティストで仏教学者が始めた学校

★ジャンル【学校】
★場所 中央区新川1−28−7
★最寄駅 東京メトロ茅場町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治33年(西暦1900年) 創立100周年を記念して之を建立する」

★解説
 永代橋の西の橋詰を南に行ったスーパー堤防上の歩道にあります。
 中央学院大学中央学院高等学校中央学院大学中央高等学校の起源となる学校です。
 1900年の創立はこの場所ではなく、近くの日本橋蛎殻町に「日本橋簡易商業夜学校」として設立されます。碑の場所に移ってきたのは1902年(明治35年)で、その際「中央商業学校」となります。
 創立者は現在の岡山県三原市出身の高楠順次郎(たかくす じゅんじろう)で、家は熱心な浄土真宗信者でした。旧家ではありましたが貧しかったため、小学校の教員などを務めたのちに京都西本願寺の学校(現龍谷大学の源流)に入学、優秀だったためか神戸の高楠家の養子となり、その支援でイギリスのオックスフォード大学に留学します。帰国後は東京帝大教授、東京外語大校長などを歴任、その中でこの学校を作りました。
 校地は別稿で紹介した商船学校が越中島に移転した跡地を譲り受けたようです。初代の校舎は当時としては珍しい3階建てで、「三層楼」と呼ばれました。
 高楠は他にも多くの学校の設立に関わり、武蔵野女子学院(現・武蔵野大学)を設立したり、東洋大学の学長に就任したりしています。
 またエスペランティストとしても活躍し、著名な歴史学者の黒板勝美(くろいた かつみ)が1906年に日本エスペラント協会を立ち上げた際にその結成に参加し、東京支部長となります、その後も日本エスペラント学会評議員となり、財団法人化後は理事にもなりました。仏教と世界共通語、通じるものがあったのでしょうか。
 高楠は敗戦の年、1945年に亡くなりますが、中央商業学校は1948年に新

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