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「川柳の原点 誹風柳多留発祥の地」

なぜか事実上の創始者の名を書かない碑

★ジャンル【文化】
★場所 台東区上野公園1−57
★最寄駅 JR、東京メトロ駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「川柳は、江戸時代に江戸で生まれた17音の庶民文芸として今日に伝わっています。川柳の名称は、宝暦7年(1757)に浅草新堀端にはじまりましたが、明和2年(1765)7月、呉陵軒可有という人が、初代川柳評の前句付万句合の勝句(入選句)から17音の付句のみで鑑賞でき、深い笑いのある句を選び、今日〈川柳の原点〉とも呼ばれる『誹風柳多留』を刊行しました。このことにより川柳は、〈17音独立文芸〉として確立され、後に全国へと広がっていきました。この付近には、『誹風柳多留』の版元・星運堂(花谷久次郎)があり、俳諧書などを刊行するかたわら、3代にわたり、『誹風柳多留』を通じて〈川柳風〉の隆盛に貢献、川柳を「江戸文芸」の一つにまで育てました。「誹風柳多留発祥の地」は「文芸川柳発祥の地」でもあります。記念碑の「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」の句は、「木綿」を号とした『誹風柳多留』の編者・呉陵軒可有の作です」

★解説
 上野公園の京成上野駅脇の入り口、中央通りに面した階段の脇にあります。
 「川柳」は江戸時代に確立した文芸ですが、その基礎を築いたのが柄井川柳(からい せんりゅう)で、その名声は「誹風柳多留」(はいふうやなぎだる)という彼の選による名句集で確立しました。この句集は幕末までほぼ毎年発刊される定番本となります。柄井川柳の家は浅草新堀端にあり、その場所には「川柳発祥の地」の碑があります。
 ではここは何かというと、碑文にもあるように、「誹風柳多留」を発行した版元がこのあたりにあったのです。この碑文を読むと、川柳の隆盛はこの版元である星運堂と呉陵軒可有(ごりょうけん あるべし)のおかげのように読めますね。
 「誹風柳多留」は柄井川柳が句会で選んだ中から、さらに呉陵軒可有が掲載句を厳選したもので当初は両者の合作でした。星運堂と呉陵軒可有の功績はもちろん大きいのですが、地元を贔屓するあまりか、柄井川柳という人物の名がまったく出てこないのもいかがなものかと思います。
 その後「誹風柳多留」は167篇も刊行され、ここに載ることが川柳界のステータスになります。特に柄井川柳が関わった初期の24篇の評価が高いそうです。他にも柳亭種彦(りゅうてい たねひこ)、十返舎一九(じっぺんし

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