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「洞雲寺由縁碑」(東京最初の小学校、番町小学校発祥の地)

最初は新宿区にあった番町小学校

★ジャンル【学校】
★場所 新宿区市谷八幡町16
★最寄駅 JR、東京メトロ駅市ヶ谷駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「日本最初の小学校設置 明治2年(1869)の明治政府による小学校設置の奨励をうけて、明治3年6月12日、東京府下小学校として洞雲寺境内に開設された」(部分)

★解説
 JR市ヶ谷駅から、靖国通りが外堀を横切る土橋を通り市谷見附交差点を渡ると、正面のビルの隙間に細い道があります。これが洞雲寺の参道で、奥の境内の一角に建つ「洞雲寺由縁碑」の中に、番町小学校の創立について書かれています。
 碑には「日本最初の小学校設置」とありますが、これは間違い。日本最初の小学校は京都で1869年5月21日に京都市に上京第二十七番組小学校が開校しており、柳池(りゅうち)小学校、清水小学校と名を変えて存続していましたが、2011年に廃校となりました。しかし京都では1869年に64もの小学校が市民の力で開校しており、統合などもありますが多くの学校が存続しています。
 別項でも書いたように、東京では国が全国一斉に小学校を設置するのに先立ち、6つの小学校を設置しました。その第二校がここに作られます。現在の番町小学校のホームページを見ますと設置の日付は6月13日になっており、当地の碑文と1日食い違っています。なぜか碑の開校年には西暦表記がありませんが、1870年です。
 設置時は仮小学校とされましたが、翌1871年12月4日に文部省直轄の小学第二校という名称になり開校式を行いました。現在も創立記念日はこの日です。その後1872年に現在の千代田区にある現在地に移転しました。
 千代田区の番町小学校がなんで新宿区で創立したの?と不思議に思われる方も多いと思いますが、当時は小学校は東京府立の学校として創立しましたので、区は跨いでいますが距離は近く、同じ東京府内なのでおかしなことではなかったのです。また「番町」の名前が出てくるのはさらにその翌年です。
 戦後になると都心の学校として、番町小学校から麹町中学校日比谷高校、東京大学と進むのが一流エリートと目され、区内からの越境はもちろ

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