見出し画像

「我国ゴム工業誕生の地」

海産物業から始まったゴム工業

★ジャンル【産業】 
★場所 台東区東上野5-15
★最寄駅 東京メトロ銀座線稲荷町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治十九年(一八八六年)十二月ニ日 蝦夷松前藩士であった土谷秀立 田崎忠篤 田崎忠怒 田崎長国の四兄弟が 日本で始めてゴムの熱加硫法に成功し 土屋護謨(ゴム)製造所を東京市浅草区神吉町十五番地(現東京都台東区東上野五丁目十五番地)に創設した この製造所は 後年発展を重ね三田土ゴム製造株式会社に改組されたが エボナイトの製造をはじめ幾多の技術的開拓は 今日隆盛を極める我が国ゴム工業の大きな礎石となっている ここに日本ゴム工業史上不滅の功績を讃え 有志一同相謀り誕生の地に建碑し永く後世に伝えるものである」

★解説
 台東区立上野小学校の入り口脇の植え込みにあります。実際の発祥地は碑文にもあるように東上野5-15で、ここから清洲橋通りを渡って少し入った所です。
 日本のゴム工業は意外なところから出発しています。それは海産物採取です。
 北海道にあった松前藩は米がほとんど取れなかったため、石高のない藩「無高の藩」として知られていました。藩の収入は北前船の貿易利益やアイヌとの交易、そして海産物採取の管理などから得ていました。商人の大元締めのような藩だったわけです。
 海産物というのはアワビなどをとってくるわけですが、幕末から明治初期になると欧米の技術が入り、ゴム製の潜水服なども使って、海産物採取や沈没船の引き上げなどを行うようになります。これらの事業に携わっていたのが、藩士であった土谷秀立・田崎忠篤・田崎忠怒・田崎長国の4兄弟です。彼らはその後東京に出て、海産物採取や潜水ゴム服の修理を業としていました。
 修理には穴の空いたゴムホース(空気を送るもの)などの修繕が必要で、そのためにゴム加工の方法を同時に開発していきます。この頃欧米ではゴム産業が急速に発達していましたが、それは、1844年にアメリカのグッドイヤーが発見した熱加硫法によるものでした。
 これはゴムを加熱しながら硫黄を加えることで、ゴムの性質が安定し、熱などで劣化することがなくなりました。現在はゴムといえばタイヤがその利用法で一番に思いつきますが、当時は銃の燃焼ガスが外部に漏れないように

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

983字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?