津田塾1

番外編 間違っている津田塾大学発祥地

これまでの23区発祥の地一覧

 千代田区一番町27−4のビル壁面に「Tsuda College Founded Here in 1900」とありますが、これは間違いです。また、このプレートを設置したのは津田塾大学ではありません。

 津田塾大は、日本初の女子留学生だった津田梅子(つだ うめこ)が創立した女子英学塾が前身です。梅子は「市内最初の並木」で出て来た幕臣の津田仙(つだ せん)の次女で、わずか6歳で岩倉使節団に同行してアメリカに渡り、教育を受けます。そして11年間をアメリカで過ごし、帰国。梅子は17歳になっていましたが、もはや日本語の方が通訳が必要なほどだったといいます。
 その後伊藤博文(いとう ひろぶみ)邸で家庭教師となるなどしたのち英語教師となり、さらに再度渡米して勉学に励み、ついに1900年(明治33年)7月26日、女子英学塾を設立します。当時多かった行儀見習いの延長の学校とは一線を画し、進歩的でレベルの高い授業を行ったそうです。このため中途退学者が非常に多かったといいます。
 津田塾大の津田梅子資料室のご教示に拠れば、この時東京府知事の認可申請時の学校所在地は当時の梅子の自宅、麹町区下二番町26番地で、今の千代田区二番町、ベルギー大使館の向かいあたりでした。
 実際の校舎は麹町区一番町15番地の仮校舎で、9月14日のことでした。これは今の千代田区三番町、大妻女子中学・高校のあたりです。

これより有料です。以下には記事全文のほか、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

1,052字 / 2画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?