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「『青踏社』発祥の地」

日本の女性解放運動発祥の地

★ジャンル【社会】 
★場所 文京区千駄木5-3-11
★最寄駅 東京メトロ千駄木駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「青鞜社は、平塚らいてう (雷鳥・1886〜1971) の首唱で、木内錠子(きうち ていこ)・物集(もずめ)和子・保持研子(やすもち よしこ)・中野初子ら 20代の女性 5人が発起人となり、1911年 (明治44) 6月1日に結成された。 事務所はここ旧駒込林町9番地の 物集和子宅におかれ、その裏門に「青鞜社」と墨で書かれた白木の表札が掲げられた。月刊「青鞜」の創刊号は 明治44年9月に発刊された。雷鳥の発刊の辞「元始、女性は実に太陽であった」は有名で、女性たちの指針となった。表紙絵は 後に高村光太郎と結婚した長沼ちゑの作である。青鞜社は始め 詩歌が中心の女流文学集団であったが、後に 伊東野枝が中心になると、婦人解放運動に発展していった。 事務所はその後 4ヶ所移り、「青鞜」は1916年 (大正5) 2月号で廃刊となった」

★解説
 千駄木駅へ下る団子坂の上、千駄木一丁目バス停前のマンション前に、文京区教育委員会の掲示があります。
 青踏社は、平塚らいてう(雷鳥、ひらつか らいちょう)を中心とした女流文学誌「青踏」の発行母体です。解説文にあるように、1911年6月に結成され、9月に創刊号が発行されました。当初の社員には、木内錠子(きうち ていこ)・物集和子(もずめ かずこ)・保持研子(やすもち よしこ)・中野初子と平塚の発起人5人らと、野上弥生子(のがみ やえこ)ら18人の社員が加わりました。また賛助員には人気作家の長谷川時雨(はせがわ しぐれ)、与謝野晶子(よさの あきこ)、森鴎外(もり おうがい)の妻しげ子、鴎外の妹小金井喜美子(こがねい きみこ)、国木田独歩治子(はるこ)らがいました。
 森鴎外の家は、この場所から目と鼻の先の、現在森鴎外記念館のある場所で、妻や妹が参加しているように、鴎外は平塚らの活動を支援していたとも言います。鴎外は樋口一葉(ひぐち いちよう)を高く評価するなど、当時としては女性作家に理解がありました。
 「青踏」創刊号には、平塚の「元始女性は太陽であった」(原文ママ)という創刊の辞が掲載され、この言葉は今でも有名です。また表紙は、のちに高村光太郎(たかむら こうたろう)の妻となる長沼智恵子(ながぬま ちえこ)が描きました。「智恵子抄」のテーマとなった人ですね。
 「青鞜」の名は、平塚に活動を勧めた師の生田長江(いくた ちょうこ

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