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「目黒競馬場跡」(日本ダービー発祥の地)

第1回日本ダービーの開催場所

★ジャンル【スポーツ】
★場所 目黒区下目黒5-1-11
★最寄駅 目黒駅

★碑文
「明治四十年(一九〇七年)、政府の馬質改良奨励により、この地に目黒競馬場が開設された。それ以降、昭和八年(一九三三年)府中市に移転するまで、明治、大正、昭和の三代を通じて、ここで競馬が開催された。また、目黒競馬場は、昭和七年(一九三二年)第一回日本ダービーが開催された記念すべき地でもある。この碑は、当時の歴史を後世に伝え残すとともに、第五十回日本ダービーを記念して、日本中央競馬会、および大鳥前元競馬場通り商店街振興組合のご協力により建立された」

★解説
 目黒駅前から目黒通りをバスで行き、「元競馬場前」バス停で降ります。バス停から進行方向の少し先に、上に小さな馬の像が載った碑があります。
 碑のタイトルは車道側に面していますが、「目黒競馬場跡」です。碑文にあるように、1933年まで、この南側に目黒競馬場が広がっていました。碑の少し南に観戦スタンドがありました。距離は1マイル、約1600メートルの競馬場です。
 目黒競馬場は、池上競馬場の大成功を見て、日本競馬会という団体(1936年設立の日本競馬会とは無関係)が建設しました。しかし翌年には馬券黙許(馬券販売の黙認)が中止され、馬券販売は禁止。当初の目論見は1年足らずで泡と消えます。
 生き残りを賭けた東京の競馬主催団体は統合し、4つの団体が合わさって東京競馬倶楽部となり、馬券なしで国の補助金を当てにした補助金競馬を開催します。馬券なしの競馬は人気がなく、競馬場はこの目黒一つになります。
 馬券なしで閑古鳥が鳴く競馬のテコ入れとして、その後景品競馬が始まります。勝馬を予想し、当たった者に景品を出すというもので、ギリギリ賭博禁止の法律をかいくぐる策でした。目黒では1914年に始まり、これで少し観客が増えました。
 ようやく1923年になり馬券復活運動が実って競馬法が成立し、制限付きの馬券が法的に認められます。この結果競馬人気は向上、さらに興行面での盛り上げと生

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