マガジンのカバー画像

東京23区発祥の地めぐり

362
徳川家康の入府以来、日本の政治・経済、そして文化・芸能の中心都市として発展し続けてきた江戸・東京には、様々な物事の始まりの地があります。学校・企業・産業・芸術・風俗など、数多くの…
361本! 完結しました!
¥500
運営しているクリエイター

2020年6月の記事一覧

「明治学院発祥の地」

「ヘボン式ローマ字」のヘボンさんが創立★ジャンル【学校】 ★場所 中央区明石町7−20 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治学院は1877年(明治10年) ここ旧築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする これを記念しこの碑を建てる」(表) 「1877年(明治10年)旧築地17番地のこの地に東京一致神学校が建てられた。これが現在の明治学院となった。この神学校は横浜にあった米国改革境界のブラウン塾の流れをう

有料
100

「女子聖学院発祥の地」

ひっそり佇む可愛らしい碑★ジャンル【学校】 ★場所 中央区明石町6−23 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅 ★碑文 「この地は女子聖学院発祥の地 もと築地居留地14番であった。そこに建つ14番館が、宣教師ジョン・マッケシブ先生の居宅だった。1905年、米国のクリスチャン・チャーチ(ディサイプルス・オブ・クライスト)の宣教師バーサ・F・クローソン女史が借り受け 婦人伝道師の養成を始めた。開校式は同年11月1日教師3人に生徒10人であった、という。今日では幼

有料
100

「青山学院記念の地」

津田梅子の父が創立に大貢献★ジャンル【学校】 ★場所 中央区明石町6−23 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「青山学院は、米国メソジスト監督協会の宣教師により創立された3つの学校を源流としています。「海岸女学校」は、ドーラ・E・スクーンメーカーによって創立された源流の1つ「女子小学校」(1874年麻布に開校)が「救世学校」を経てこの地で大きく発展したもので、明治の女子教育に多大な足跡を残すとともに、青山学院の礎と

有料
100

「関東学院の源流 東京中学院発祥の地」

軍人出身の校長が戦前の弾圧のりこえる★ジャンル【学校】 ★場所 中央区明石町1−15 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「1895年9月10日、ここ築地居留地42、42番地で米国バプテスト伝道協会が東京中学院を設立した。関東学院教育の源流はここに発する」 「人になれ 奉仕せよ」 ★解説  雙葉学園の碑と同じ居留地中央通りの南側数十メートル、明石小学校の前にあります。  関東学院大学にはいくつか源流があり、その一番

有料
100

「雙葉学園発祥の地」

赤坂の地名からついたものの、発祥は築地★ジャンル【学校】 ★場所 中央区明石町1−6 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「徳に於ては純真に  義務に於ては 堅実に」 ★解説  築地の居留地中央通りの北端、URの高層マンション前の歩道にある、小さな葉のような碑です。  碑文は雙葉学園の校訓で、日本語とフランス語で書かれています。でもよく意味がわかりません。生徒手帳によると、「徳においては純真に」は「まっすぐに明るく

有料
100

「靴業発祥の地」

知られざる明治の大企業家★ジャンル【産業】 ★場所 中央区入船3-2-10アーバンネット入船ビル(ITOKI)前 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治三年(一八七〇)三月十五日西村勝三が伊勢勝・造靴場を創建したのは旧築地入舟町五丁目一番のこの地であった 勝三は佐倉藩の開明進取の風土に育ち時の兵部大輔大村益次郎の勧めと 藩主堀田正倫並びに澁澤榮一の支援を得て靴工業を創成しこれを大成した 斯くてこの地は日本に於ける製靴産業の原点で

有料
100

「救世軍渡来記念の地」

日本人初の国軍司令官の言葉刻む★ジャンル【文化】 ★場所 中央区新富2-4-7山桜新富本社ビル前 ★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「1895年(明治28年)9月英国より来日したライト大佐一行はこの地に日本最初の本営を設け救世軍活動を開始した。1995年9月日本における救世軍創設百年を記念して設置する。救世軍本営」 「先ず人を造れ」 ★解説  京橋税務署向かい、山桜前の歩道上に、真ん中が花壇になった珍しい形で設置されています。碑

有料
100

「活字発祥の碑」(活版印刷業発祥の地)

日本の金属活字印刷業草創の地★ジャンル【産業】 ★場所 中央区築地1-12-16 コンワビル南隅 ★最寄駅 東京メトロ日比谷線東銀座駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治六年(一八七三) 平野富二がここに長崎新塾出張活版製造所を興し後に株式会社東京築地活版製造所と改称日本の印刷文化の源泉となった」 ★解説  旧電通本社ビル隣のコンワビル南端植え込み内にあります。  この「活字」とは金属活字のことです。江戸時代までの日本では活字は発達しませんでした。木版の活字を

有料
100

「吉野家」(築地一号店記念石碑)

実質的に築地で生まれた「味の吉野家」★ジャンル【企業】 ★場所 中央区築地6−20−37 ★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅、都営大江戸線築地市場駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「ここ築地の地に、牛丼の吉野家の創業店がありました。吉野家の歴史は、かつて栄えていた日本橋の魚河岸で明治三二年に開業したのが始まりです。屋号は、創業者・松田栄吉の出身地である大坂・吉野町より名づけられたと伝えられています。その後、関東大震災の影響により、大正一五年、魚河岸とともにこの地に

有料
100

「旗山」(日本海軍発祥の地)

気になる築地市場移転後の扱い★ジャンル【その他】 ★場所 中央区築地5-2 ★最寄駅 J都営大江戸線築地市場駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「此処ハ往昔徳川幕府ノ時松平定信ノ別業浴恩園内勝地タル賜山ノ一部ニ属ス明治二年海軍省衙ヲ此地ニ置ク五年本省設立後海軍卿旗ヲ此丘陵ニ樹ツ世人呼ンデ旗山ト称ス此地ヤ実ニ海軍経営ノ根基ヲ為セリ蓋シ其発祥ノ地ト謂ツベシ爾来春風秋雨幾星霜省庁移転シ僅ニ一二ノ御門ヲ留ムルノミ地形漸ク変リ旧時ノ状景亦尋ヌルニ由ナカラントス乃チ旗山ノ地点ヲ

有料
100

「東京盲唖学校発祥の地、日本点字制定の地」(筑波大学附属視覚特別支援学校発祥の地)

画家、岸田劉生の父が始めた東京の盲学校★ジャンル【学校】【社会】 ★場所 中央区築地4-15-2 市場橋公園内 ★最寄駅 東京メトロ日比谷線東銀座駅、都営大江戸線築地市場駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「1879(明治12)年 ジョサイア・コンドル設計による校舎完成  1880(明治13)年 楽善会訓盲院として開校  1887(明治20)年 官立に移管 東京盲唖学校と改称  1890(明治23)年 日本点字制定」 ★解説  旧築地市場前のかつての掘割を埋め立て

有料
100

海軍兵学寮趾(海軍兵学校発祥の地)

築地で始まった海軍士官教育★ジャンル【学校】 ★場所 中央区築地5-1-1 ★最寄駅 東京メトロ日比谷線、都営浅草線東銀座駅、都営大江戸線築地市場駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 特になし ★解説  碑は国立がん研究センター中央病院敷地の北の隅、首都高銀座料金所の脇にあります。  一般に海軍兵学校というと「江田島」(広島県)と思われる方が多いと思いますが、その源流となる海軍操練所ができたのは築地です。  築地には幕末に講武所という軍事教練を行う施設が設けられ、さ

有料
100

「日本国海図及び海洋調査発祥の地」

「水路」の名は消えても、維新以来続く海図測量組織★ジャンル【その他】 ★場所 中央区築地5−3−1 ★最寄駅 都営大江戸線築地市場駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治4年、時の政府は、海運や国防のために船舶が安全に航海するため海の深さや目標物を記した海図の整備が急務であると考え、兵部省海軍部水路局をこの地に創設し、外国人に頼らず独力で海洋調査を行って日本国として初めての海図を作成しました。以来、この地において先人の遺業を継承して日本の海を調査し、海図を整備を行

有料
100

「検査業務開始の地」

詳細不明の検査機関★ジャンル【産業】 ★場所 中央区銀座8−20−26 ★最寄駅 都営大江戸線、ゆりかもめ汐留駅 これまでの23区発祥の地一覧 ★碑文 「明治9年6月17日、この地に工部省電信寮の碍子試験所が発足して電信用碍子の電気試験が行わ れた。これが我が国における近代的物品購入検査の始まりである。検査100年を記念して」 ★解説  碑は海岸通り、首都高に面した銀座郵便局前にあります。ちなみに近くに立つ「日本郵便」の看板の先に「銀座に残された唯一の踏切信号機」という

有料
100