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じゃあな。

本日、十一月二十六日。
日付が変わってすぐに、父方の祖父が亡くなった。

その祖父と僕は面識がない。
厳密に言えば、生後何カ月間かは一緒に生活していたらしいのだが、当然ながら記憶はない。
物心ついてからは一度たりとも会ったことがないので、顔すら知らないし、声も知らない。

早朝に父親から連絡がありその訃報を聞いた僕は、自分でもびっくりするくらいあっさりとその事実を受け入れた。

悲しい、とは全然思わなかった。

ただ面識がないから、というだけではない。

子供の頃、母に聞かされた話が原因だろう。

僕の父と母は山形県で生まれ育ち、出会い、そして結婚して僕が生まれた。

僕が生まれてすぐの頃。

母は父の実家で生活していたそうだ。

ところが、この祖父は酒癖が悪かった。

「お酒さえ飲まなければ物静かな人なんだけどね」と母は言う。

父が家に居るときであれば母と僕を庇えたかもしれないが、祖父は父が居ないときも酒を飲んだ。

祖父は酔うと決まって、自分にしか懐いていない飼い犬のドーベルマンを家に上げ、母のいる部屋に放した。

まだ生まれたばかりの僕を抱えて死に物狂いで逃げ回る母を、祖父は笑いながら見ていたらしい。

母はその度に恐怖に竦む足をなんとか動かし、僕を抱えたまま別の部屋の押し入れに閉じこもってやり過ごした。

祖父の気が済むまで、祖父の酔いが醒めるまで、押し入れの中で僕を抱きしめて、まんじりともせず夜を明かしたと聞いた。

そんな祖父だったから、祖母は早々に父の妹(僕にとっての叔母)を連れて家を出た。
それから間もなくして、父と母も僕を連れて逃げるように家を出たという。

その話を母から聞いたその日、僕は自分の勉強机で地図帳を開いた。

本州のほぼ最北端から、最南端まで逃げなきゃいけないほど追い詰められていたのか、と。
子供ながらに父と母を不憫に思った。

それがあったから、僕はずっと祖父が嫌いだった。
会ったこともないし、何も覚えてないけど。
大切な母を散々苦しめた。
僕が祖父を憎んで生きるには十分すぎるほどの理由だった。


しかし、そんな人であったとしても僕の父からすれば、祖父はたった一人の父親だ。

どこでどう折り合いをつけたのかは知らないが、いつしか父と祖父はたまに連絡を取り合うようになった。

中学生くらいの頃、祖父と電話をしていた父が僕に向かって受話器を差し出し、こう言った。

「山形の爺ちゃん。話してみるか?」

差し出された受話器を見つめて僕はほんの少しだけ躊躇してしまった。


母の視線を感じていた。


少しだけ考えたのち、

「いや、ええわ」

と答えた。

「別になんも話すことないし」

続けて、そう言った。

父はそんな僕を咎めることなく、

「そうか」

と一言だけ言ってまた受話器を自分の耳に当てて祖父と話し始めた。

母の表情を見ることはできなかった。

僕のあの返答は受話器の向こう側に居る祖父にも届いただろう。

いや、届くようにわざと言った。そうするべきだと思った。

散々、僕達を傷つけて追い詰めて、今更なんの話があるんだ。

この期に及んで僕に「じいちゃん」なんて呼ばれたかったのか。


冗談じゃない。


呼んでやるもんか。


全部あんたの所為じゃないか。

父と母が逃げなくてはいけなかったのも。

田舎特有の閉鎖的、排他的な村社会に僕が飛び込まなくてはいけなかったのも。

大人が見てないところで罵られ、苛められ、仲間外れにされたのも。

ずっと独りぼっちで石ころを蹴飛ばしながら登下校しなきゃいけなかったのも。

全部あんたの所為じゃないか。ふざけるな。


おい、あんた。
見てるか?
従妹の夢枕に立ったらしいな。
俺のところに来なかったのは正解だったと思うよ。
もし来てたら俺はあんたをどうしたかわからない。

あんたが昔笑いながら見ていた、逃げ惑う母親に抱かれていた子供は、こんなにも冷酷に歪んで育ったよ。
血の繋がったあんたの訃報を聞いても眉一つ動かさなかったよ。
最低だと思うか?
人としてクズだと思うか?
いいよ。思えよ。
俺もあんたのことをそう思って憎んで何十年も生きてきた。
最期の最期まで、俺はあんたを許さなかった。

でも、そんなあんたでも、俺の大切なたった一人の父親にとっては、たった一人の大切な父親だったんだ。

そんな俺の親父が、今日、新幹線に乗ってあんたが居た山形県に向かっている。
もう若くもないのに、長い時間をかけて向かっている。
車中でただ流れる景色を眺めて何かを思う親父の姿を思い浮かべると、俺は本当にやりきれない。

親父はきっと俺があんたを許すのを望んでいたと思う。
俺も、あのとき電話であんたの声を聞けば、言葉を聞けば。
実際に会って抱きしめ合えば。
きっと許していたかもしれない。

俺は、多分、そういう奴だ。甘ったれだから。

でも俺はそうしなかった。
母親がどうとかじゃない。俺の意思でそう決めたからだ。

あれから俺も大人になった。子供も出来た。
自分の親と、自分の子供が憎しみによって関係を断たれることの心苦しさはなんとなく理解できる。


理解できるから、今更だけど。
たった一回だけ、譲歩してやる。

誰にも看取られず、一人で死んでいったあんたの気持ちなんかは知らない。どうでもいい。
でも、俺の親父の事だけを思って、一回だけそうしてやる。
けじめとして。俺がそうしたいからそうする。

これから先、何十年かしたら親父もそっちに行くだろう。
何事もなければだけど、俺もそこから何十年かしたらそっちに行く。

親父が

「せっかくだし、会いに行くか?」

と誘ってきても、俺は多分また

「いや、ええわ」

と答えると思う。

もっと再会したい人が山ほどいるし、それに、やっぱり何も話すことがないから。


だから、これで本当に、さよならだ。


酒、あんまり飲み過ぎんなよ。


じゃあな。

じいちゃん。




お金は好きです。