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俺の残像でも追ってろ駄馬が

突然ですが、僕は歩くのが速いです。走るのは遅いし持久力もビックリする程ないのですが、歩くのだけは神速と言っても過言ではありません。全都道府県の中でも最も人の歩くスピードが速いとされる東京都においても、僕の歩く速さは群を抜いています。街を颯爽と駆け抜けるかのような姿はまさに韋駄天です。おそらく前世は高名な飛脚か何かでしょう。もしこれから先、僕が死んだ後に聖杯戦争で召喚されることがあれば、そのときは確実にライダー枠で召喚されるはずです。何の話かわからない人はスルーしてください。

いつも通りの朝のこと。僕は職場がある新宿まで向かっていました。電車を一旦降り、次の電車へと乗り換えます。この乗り換える際の移動がそこそこの距離なのですが、先述した通り僕は韋駄天なので何の問題もありません。我先にと押し合いへし合いで改札を抜けようとする人々を軽く見下しながら、僕は余裕綽々で後に続きます。焦る必要などありません。何故ならこの人たちは恐るるに足りないからです。その気になればすぐにでも追い抜ける。そんな余裕に溢れている僕は改札内で何人に抜かされようが何処吹く風です。
どうぞどうぞ、先に行ってください。今のうちに。僕より前を歩ける権利をほんの少しの間だけプレゼントしましょう。どうせこの後、僕の歩速にあなた達は驚愕することになるのだから。存分に刮目せよ、この電光石火の超速徒歩を。そう考えながらマスクの下で不敵な笑みを浮かべます。

改札を抜け、目の前を歩く人々を眺めて、心の中で叫びます。

「そんなもんかよ!!東京!!」

まるでツアーファイナルで客席を煽るバンドのボーカルのような心境です。
しかし遅い。遅すぎる。蝿が止まるかと思いました。朝のラッシュが聞いて呆れます。僕は己に与えられた天賦の才を誇らしく思い、それと同時に恐ろしくも思いました。
しかしこの世は弱肉強食。強ければ生き残り、弱ければ死ぬだけなのです。悲しいですが、これが現実なのです。自然の摂理というものです。ならばせめて全身全霊をもってしてお相手致しましょう。百獣の王は兎を狩るときも全力なのです。
魅せてやるぜ。この俺の疾風迅雷とびっきりをよォ…!!

そこからはもう歴然たる差を見せつけるだけです。ごぼう抜きです。千切っては投げ、千切っては投げです。老若男女すべて、僕の歩く速さに為す術もなく追い抜かれていきます。
前を歩く若い男性と、妙齢の女性の隙間を擦り抜けて僕は更に加速しました。トップギアです。もはや向かう先に敵はいません。すべてがスローモーションに見えます。
またもや行く手を阻む影が見えてきました。スーツ姿の男性が両手を一生懸命に前後へ振りながら歩いています。だがやはり遅い。僕は再び人の隙間を擦り抜けながら、彼を追い越そうとしました。

──その瞬間。悲劇は起きてしまったのです。

追い抜く瞬間、勢い良く前後へ振っていた彼の拳が僕の股間に直撃しました。

「んぐぁあ」

と思わず声が漏れました。
ビックリして振り返るスーツ姿の彼。無理もありません。ただ歩いていただけなのに、手が何かに当たった瞬間に背後から唸り声が聞こえたのです。そんな彼は苦悶の表情を浮かべる僕を見てなんとなく状況を察したようで

「あっ、すみません」

と謝ります。それに対して何故か僕も
「いえ、すみません」
と返してしまいました。

なんなのでしょうか。こんなことがあっていいはずがありません。どこの世界の韋駄天が股間に思いきり裏拳をくらわされて「んぐぁあ」なんて断末魔をあげるのでしょうか。どんな韋駄天だ。しかも最終的になんか謝ってるし。情けなくて涙が出てきそうです。韋駄天、涙出ちゃう。

しかし僕は止まりません。止まれないのです。こんなことになっても前に進み続けるしかない宿命を呪いました。速度を落とさずに依然進みます。
本当は蹲りたい。立ち止まりその場に蹲ってしまいたい。男性諸君はわかってくれると思いますが、もうすんごいお腹痛い。下っ腹がものすごく痛いのです。その場でピョンピョン飛び跳ねてしまいたい。しかしそれは許されません。僕は背中しか見せちゃ駄目なのです。僕は常に追われる存在でなくてはならないのです。韋駄天として令和の世に残像を残して去るだけなのです。
ていうか、股間を押さえて蹲るとか。かっこ悪くてできるかよ、そんなこと。いい加減にしろ。それを見て心配した心優しい人に駅員さんを呼ばれちゃったら僕はなんて説明をすればいいのだ。みっともない。いい歳してこんなもん書いてる方がみっともないですって?ちょっと。なんなんだ、あんた。人の心ってものはないのか。死屍に鞭打つような真似はやめてくださいよ。僕が一番わかってんすよ。そんなもん。もう。



そうして、僕はなんとか次の電車に乗り込みました。発車の時刻になり、ゆっくりと電車は走り出します。痛みに耐えながら席に座り、車窓に流れ始めた景色を眺めながら僕は思いました。

僕は何と戦っていたのだろう。きっとそれは己の心の弱さだったのではないか。歩くのが速いからなんだと言うのだ。僕が得意気に追い抜いてきた人々の中には僕よりも頭が良かったり、僕よりも優しかったり、僕よりも立派な人間だっていたに違いない。得手不得手というものは誰にだってあります。僕やあなたには、僕やあなたにしかできないことが必ずあるのです。その場限りでつけられた優劣なんてものに悩むのはその場限りでいい。あなたはあなたの誰にも負けない何かがあるはずなんです。
それを思い出させてくれたのは、まぎれもなく僕(の股間)を殴ってまで目を覚まさせてくれたあのスーツ姿の男性です。僕は彼にお礼を言いたくて仕方がありません。同じ電車に乗っているのでしょうか。あんなに急いで歩いていたのだから、きっと乗っていることでしょう。同じ電車の車窓を流れる、同じ景色を見ているのかもしれません。僕らはなんだか通じ合ってるような気がしてなりません。

へへ、効いたぜ。お前の拳。
なんだろうな。朝日がやけに目にしみらぁ。
俺たちはさ、なんというか、大海の波に飲まれて水面を漂う泡沫のようなものだよな。
どういう意味かって?
うん、ちょっと待ってね。今から考えるから。
ただそんなことよりも俺はお前に礼を言いたいのさ。目を覚ましてくれてありがとう、って。
忘れてしまっていた大切なことをようやく思い出せたよ。

流れる景色の向こうであいつが少し微笑んだような気がしました。


大切なことはたとえ見失ってもどこかで必ずまた思い出せるものです。過ちを繰り返しながらも僕らは“正解”を暗闇の中から手繰り寄せるように生きる。
僕らは何を想い、そしてどこへ向かうのでしょうか。
僕が今言える確かなことは一つだけ。

「大丈夫かな、後で血とか出ないかなこれ」
と密かに心配しながら新宿へ向かう。
これしかないのです。



お金は好きです。