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#春ピリカ応募「そのかたち」

ざわめいていたフロアは、ようやく凪の時間を取り戻した。

「閉店間際にまさかだったよね」
横の社員が呟く。
普段は人もまばらな紳士用品売場。
閉店30分前となれば来客も見込めない。
レジ締めの準備をしつつ、舐めてかかっていた。

まさかの出来事だった。
駆け込みの客が、ハンカチコーナーから20枚ものハンカチをつかみ取り「1枚ずつ箱に入れて包んで」と来た。
カウンターの果歩だけでは手が足りず、社員に応援を頼んだのだ。
2人で商品を箱に詰め、デパートの包装紙で包む。のし紙がなかったのがせめてもの救いだった。

「ありがとうございました。助かりました」果歩は頭を下げた。
1人ではとてもできなかった。プレゼント包装なんてめったにないから慣れていない。

コインストッカーを取り出す手をじっと見る。長くてきれいな指だと言われるけれど、見た目ほど役に立たない。ピアノも弾けないし器用でもない。
それが果歩の指だった。

そのかたちは父に似ているそうだ。たまに母に言われる。
「果歩の手はお父さんにそっくりね」と。
果歩は父の手を憶えていない。
物心つく前に亡くなっていて、写真でしか会ったことがない。
「お父さんは器用だった?」
母に尋ねてみる。
「器用そうな指だったけど不器用だったわ」苦笑いしながら母は言った。


おばあちゃんのところに行ってきてほしいの。仕事が忙しくてしばらく顔を見せていないから。

母にそう頼まれたのはゴールデンウイークも近い週末のことだった。
デパートのアルバイトも終了し、大学の授業もない。白羽の矢を受けて、片道2時間かかる祖母の家に出かけることになった。
いつもは母と一緒だから1人で行くのは初めてかもしれない。駅からの道は自信がなかった。

閑散とした小さな駅。
果歩と一緒に電車を降りた人は数えるほどだった。バス乗り場の案内もない。おばあちゃんに電話すれば誰か迎えに寄こしてくれるだろうか。

「どうしました?」
ホームで途方に暮れていたら声をかけられた。若い駅員がこちらを見ている。果歩の言葉と少しイントネーションが違っていた。
「バス乗り場はどこですか?」
持っていた箒を脇に置いて彼が近づいてくる。
「どちらへ行かれますか?」
祖母の住む町の名を告げると思案顔だ。
「次のバスは1時間後なんですよね」
タクシーも隣駅から呼ぶので時間がかかるという。
「歩けない距離ですか?」
恐る恐る聞いてみると駅員室に手招きされた。
「改札を出たら右にずーっと。お地蔵様に会ったら左に曲がって」
指先が地図をゆっくりとなぞる。言葉を区切り、果歩を確かめるように見た。
「ここが2丁目。若いから30分くらいでいけるかな」
住宅地図に祖母の名が載っている。
「ここ」
くるくると示した指をじっと見てしまった。

無骨だけど丁寧で優しい指は、どこか似ていた。
そのかたち。

「あの何か?」

慌てて首を振ってごまかした頬は、赤く染まっていたに違いない。
まるで新緑に映えるように。(1191字)

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