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しみこませること〜5月下旬の美術館さんぽ〜
三宅一樹展「拝啓、碌山殿。」中村屋サロン美術館
とある日曜午後、ふらりとおでかけをした。
廃止された東京メトロの回数券。期限が切れてしまうものが数枚残っていたのだ。
使いなよと言われて頭を回転させる。
170円券と200円券。効率的に使うにはどうすれば?
まぁ元は取れているので無理やり使い切ることもないんだけど。
行きたい美術館はリストアップしてあった。
その中で東京メトロ沿線を絞り込む。
昼下がりの半端な時間帯とはいえ、日曜日で人も多いだろう。
上野と六本木は外した。
その中で程よい距離にあったのが中村屋サロン美術館。新宿三丁目駅直結なのも便利。
普段訪れない新宿の街で迷うこともなさそうだ。ここに決めた。
どこかの美術館で手に取ったチラシ。
なめらかな脚が写っている。
写真?造形?
その彫刻作品には《YOGA-螺旋軸》という名がついていた。
これを目の前で見てみたかった。
中村屋といえばレストランのイメージが強く、美術館の存在は知らなかった。
彫刻家・荻原碌山が活動の拠点としたのが中村屋。
碌山以外にも書家や画家、多くの芸術家が集った場所であるらしい。「中村屋サロン」と称された。
今回の展示は「中村屋サロン アーティストリレー第5回」。
毎年2名のアーティストが次年の参加アーティストを指名するしくみ。
本展の三宅一樹さんは現代美術家の富田菜摘さんからバトンを受け取った。
作品に惹かれたものの、私は作家のお名前も知らず。
美術館を入ってすぐ、《碌山研究 小坑夫》を眺めていたら佇む人に気がついた。
あれ?どこかで?
なんと三宅さん御本人がいらっしゃった!
敬愛する碌山の作品を模刻するという試み。
作品を動かすわけには行かないから、何度もサロンに通いデッサンを重ねた。
自分の中に作品をおとしこみ、消化して、表現する。
碌山の、その真摯な制作姿勢と情熱を、ほんの一欠片でも追体験したかったのです。
作品を観るとはどういうことだろう。
美術館のフロアで、すべての作品に同じ熱度で向かい合っているとは思えない。
強く惹きつけられて自分の足を止めるもの。
時間を忘れて吸い込まれてしまうものは、そう多くない。
模刻はコピーではない。
3Dプリンターを使えば数値的にも本物と違わぬものができるだろう。
でもそれは表面だけだ。
人の手によるもの。
自分のフィルターを通して感じること。
三宅さんは《神像彫刻》シリーズも手掛けている。これは御神木を木刻するのだ。
まず対象の木を観察し、木に内包されている想いを感じ取るという。
そこにあるものを彫ってかたちにしていく。
そこで思い出した小説の一節があった。
なに、あれは眉や鼻をノミで作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、ノミと槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない。
展覧会の予定はないのですか。
別れ際に訪ねたら、偶然市内の美術館に出展しているという。
日を改めて訪れた。
![](https://assets.st-note.com/img/1686530177129-3dEJLj4CDZ.jpg?width=1200)
企画展「幻視の表現者」。
三宅さんの作品は3つ展示されていた。
御神木のデッサン図。
木と向かい合っている様子が伝わってくる。そして御神木を木刻した《スサノオ》。
怒りのような驚愕のような、複雑な表情が木の中から現れた。
まるで湧き出すように。
しばらく動けずにいた。
![](https://assets.st-note.com/img/1686530568185-ZXdgXEfziC.jpg?width=1200)
もうひとつ、頭に浮かんだ一節がある。
そこかしこに埋もれたる大切なものどもを、丁寧に丁寧に掘り起こしてゆくその積み重ねもまた人生なのだ。
私の周りに、そして私の中に。
何が埋まっているのだろうかと思いを巡らす。
作品と向かい合いながら染み込んでくるものが確かにあった。
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