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語られたものと、語られなかったもの――1/28の講演を聞いて

1月28日に大分で行なわれた、不登校特例校についての講演会をオンラインで視聴しました。
前半が奥地圭子氏(東京シューレ江戸川小学校校長)の講演。
後半に、奥地氏、木村砂織氏(東京シューレ葛飾中学校校長)、加嶋文哉氏(主催団体・星の会代表)の三者によるシンポジウムもありました。

以下、その感想を書きます。

講演・シンポジウム共に、内容は不登校の当事者や家族にとって希望となるような「素晴らしい」ものだったと思います。
雰囲気も終始和やかでした。進行役の加嶋氏が、ある意味ボケ役的なポジションを担われていて、会場からも頻繁に笑いが起こっていました。

ですが、私はどっと疲れました。
この日、一切「触れられない」ことがあったからです。
それはやはり、東京シューレ性暴力事件のことです。

かつてフリースクール・東京シューレの宿泊型事業において、当時まだ10代半ばだった子どもが、成人男性スタッフから繰り返し性暴力を受け、20数年経った今もなお、その被害による後遺症(複雑性PTSD)に苦しんでいるという、重大事件のことです。
被害者も加害者も、複数人いると言われています。

奥地氏は、当時被害通報があったにもかかわらずログハウスを急遽閉鎖して事件を曖昧にし、また2016年の提訴をシューレ理事会にも知らせず、2019年の和解に際して被害者に口外禁止を求めるといった対応を続けてきたことが、検証で明らかになっています。
こうした責任を問われて、NPO法人東京シューレの理事長職退任に至っているのです。

しかし、この日の講演会では、司会によるプロフィール紹介の中でさえ、事件のことはおろか、NPO(フリースクール)の理事長を辞めたことすら触れられなかったと記憶しています。

「いのち」と「尊厳」

講演で奥地氏は、「子どもはいのちだ」ということを繰り返し強調していました。
いのちはかけがえのないもの。一つ失われたら、同じいのちは二つとない。いのちは自ら成長する力をもっている。だから個の尊厳を尊重することが大事だと。
「不登校の子どもの成長支援は、子ども中心、一人ひとりの生命の尊重が基本。安心できる環境でこそ、他者と学び合っていける」

全くその通りです。
でも、事件の原告である被害当事者の方は、今もその「いのち」を削る苦しみの渦中におられます。そして性暴力事件を「なかったことにしないで」と、懸命に世の中に発信されています。

(上記は連続ポストですので、ぜひリンクを開いて最後まで読んでいただきたいです。)

本来、こんなふうに被害者が声を上げる前に、子どもの安全が脅かされていたことに気づき、被害者救済と再発防止のため誠実・早急に対応するのが「安心できる環境」をつくる側の責務だと思いますが、すでに被害者の苦しみは、被害者自身の血のにじむような努力によって、誰でも見られるようX(旧Twitter)で可視化されています。
それなのに…と思うのです。
これまでの事件対応は「生命の尊重」だったと言えるでしょうか。

奥地氏はまた、「子どもを絶対裏切らないということが大事」とも話されていました。
不登校の子どもたちは、さまざまな傷つきを負っている。その子の元気を奪っているものは何なのか、保護者にもじっくり話を聞くのだそうです。
木村氏からも、不登校の子どもたちがいかに深い傷つきと自己否定感を背負わされているかということが、ひしひしと感じられるエピソードが紹介されました。そして木村氏はこう続けました。
「その時に、学校へ行かないというのは、これほどのことなのかと思った。たかが学校なのにそこまで人間の尊厳を傷つけられるのはおかしい。その人たちと向き合って、その人のありようを知り、応援する。そうすれば、もともと持っていた力が発揮できる。この仕事をしている以上、そういうつらかった人たちの言葉を伝えないと、私としてはやっぱり職務怠慢だなと思う」

とても胸の熱くなる話でした。
でも、子どもたちの尊厳が傷つけられる場は、もちろん学校だけではありません。フリースクールでだって起こり得ます。現に東京シューレで重大事件が起きており、それは決して「済んだ話」ではないのです。
私は以前、シューレ学園にも取材を申込み、そこで得た回答を記事に書きましたが、

この時の回答と同じ団体の方の言葉とは、とても思えなかったです。
これはシューレではないですが、他のフリースクールで、いじめられた、スタッフから気に入られず苦しんだ、やむなく他を探さざるを得なかったといった話は私も聞いたことがあります。学校だけでなく、フリースクールや不登校特例校においても人権侵害は起こり得ること、子どもたちのいのちや尊厳を脅かす側になり得ることに自覚的でなければ、子どもを預かる場として危ないのではないかと思います。

大きなギャップ

質疑応答の中で、参加者から「スタッフの学びをどうしているか?」という質問がありました(質問・意見は会場参加者のみ)。

この質問自体は事件の文脈ではなかったですが、「もしかしたらここで事件の教訓や再発防止策に触れるのではないか?」と私は一瞬、期待を抱きました。
しかしこの答えの中でも事件には触れられず、奥地氏からは「子どもの気持ちをきちんと聞いたり、子どもに合わせながらやらないとうまくいかない」「子どもはすごいですよ。感性がいい。だから子どもが学んでいることに耳を貸すことが大事」といったことしか語られませんでした。
「不登校に偏見がないとか、子どもに上から目線でないとか、いろんな点から採用を決めていますが、一番スタッフが変わるのは子どもとの対話から。そういう機会を大事にしていくということ」

そして事件のことには触れられないまま、この日の講演会は終了しました。終盤、木村氏から「不登校は希望」との発言が出ると、おそらく加嶋氏だと思いますが(メモをとるのに必死でZoom画面を見ていなかったが男性の声)「後ろからついていきます」と合いの手が入り、また笑いが起きました。

和気あいあいとした空気の中で語られる言葉の「正しさ」と「素晴らしさ」。
他方で、苦しむ被害者への「目の向けられなさ」「語られなさ」。
この大きな大きなギャップに、私は心底疲れましたし、講演を聞きながら徐々に「こんな感覚をもつ自分が間違っているのではないか?」という気持ちにもなっていき、「事件があったことなど、夢か何かだったのかもしれない」という錯覚すら覚えました。

なお、奥地氏の大分講演会は、同じく星の会主催で2022年にも開かれており、

今回は2年ぶり、2度目になります。
今回の講演会について、X(旧Twitter)で「不登校の講演会なら何となく奥地氏だろうと安易に考えて呼んだのかもしれないが」というようなポストを見かけましたが、それはちょっと違うのではと思っています。もっと強い思いがあってのことではないでしょうか。

講演をされるならば、せめて事件の反省を、奥地氏・木村氏自らの言葉で語ってほしい。学園も、フリースクール(NPO)も、ともに被害者に向き合い、検証と再発防止に尽力してほしい。主催者も事件についてのスタンスを表明してほしい。
沈黙される中で被害者が声を上げ続けるということは、とてもつらいことです。いつまでも被害者の人生を被害者のまま押しとどめ、前に進むことを阻み、苦しみを深め、「もともと持っていた自ら成長する力」がどんどん削られていく作業だと思います。
それをまるで「なかったこと」であるかのようにスルーして、美しい話を笑顔で語り合うことの残酷さを、シューレ学園も、主催者の星の会も、想像していただけたらと思います。



(追記)
なお、不登校特例校は、2023年8月に「学びの多様化学校」に名称変更されました。文科省が不登校特例校の児童生徒・教職員から新たな名称を募集し、その中から選ばれたこの新名称は、シューレ学園のスタッフが子どもたちと考えて応募した名前だということも紹介されていました。


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