ASD女。「男性依存」することで「ASD的な困りごと」を、ないものにしていた。vol.2
自分が「軽い女」と見られるような選択を、ずっとしていること。
メンタルトレーナーのAさんだけが、わたしにストレートに指摘してくれて。
結果、わたしは「30何年分の異性関係」のあれやこれやの「答え合わせ」を
することになりました。
これまで、
異性関係で「望んでないのに、起きてしまった」アレもコレも。
「だからだったんだ!!」と。今は腑に落ちていて。
わたしが娘と息子を育てていく上で、
知るべき大事な「答え合わせ」でした。
もしAさんに指摘してもらえていなかったら
わたしは、自分のしていることも、自分で知らないまま。
その後もずっと「望んでもない異性関係のトラブル(困りごと)」を
生み続けていたと思います。
恐ろしいです。
だから、
当時はものすごくショックの連続だったけれど。
怒りや恥ずかしい気持ちなんか以上に、
得られたものが、ものすごく大きいです。
お金にはかえられない、そんな「価値」の問題でもあるから。
Aさんの指摘の数々に、今ではとても感謝しています。
ASD気質の強いわたし。
子供の頃から、その片鱗は十分出ていました。
まずは保育園。
わたしは女の子よりも男の子と遊ぶ方が多かったです。
幼なじみに1つ年下の男の子が居たのもありますし、
兄がいる家庭で育ったこともあるし。
2歳で妹ができて「周りから『お姉ちゃん』を強いられる」ことで
妹(女の子)のことをイヤに感じていたこともあったと思います。
そんな環境も影響があったと多いますが、
必然的に「男の子といる方が楽」だと
そんな風に感じていました。
小学生の頃はというと、
「自分を閉じた」時期でもあり、その頃は完全に「周りをよくみる」
自分になっていました。
兄と妹に挟まれて「二役をする必要がある」ということも習得していた。
だから、自分のポジションを無自覚で探すような子供に育っていたと思います。
その上で、「正義感の強さ」も1番出ていたのが、その頃です。
「弱い(おとなしい)女の子を守る」というポジションで、
女子とそれなりに、なんとなく上手く関わっていました。
「頼りにされること」=姉的なポジションは、わたしのデフォルトにあり。
「守る(頼られる)」=「居心地が良い」関係性でいられました。
だけど、女の子が好きな「ごっこ遊び」が苦手で、
小学生の頃、毎回これがかなり苦痛だったことを覚えています。
中学生の頃はというと、
わたしは反抗期と同時に「こころが壊れた」最初の時期。
完全に「現実逃避」をしていた頃。
学校にいる間だけが「逃げられる時間」だったので、
なんとか「楽しい」を友達に見出そうとしていたと思います。
ストレスで抜毛症になるし、一気にストレスで太ったので
精神的には本当に辛い時期で。
わたしは記憶に残ってないのですが「いじめられていた」時期が
あったらしいです。(大人になって、父からそう言われました)
記憶がなくなるくらい、辛い時期。
でも、それでもわたしにとっては「学校だけが頼り」だったので
それなりに「周りに合わせて」過ごすことをしていました。
だけど、その当時既に女子に対する「拭えない疑問」が湧いていました。
女子特有の「(なんでも)一緒」「おそろい」とか、
毎回トイレに一緒に行く(しかも手を繋いだり、腕を組んだり)みたいな。
そういう選択や行動が、全然わからなくて。すごく苦手でした。
でも、「仲間外れになるのが怖い」から。
わからないなりに、頑張って合わせていました。
高校はというと、
わたしのASD的な特性は
「女性との(特に複数人での)関係性が
苦手・難しい」という意識から、
だんだん「異性との関わり」でネガティヴに働くようになっていきます。
つまり、
望んでもないトラブルを
引き起こし始めました。
つづく
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