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北京オリンピックを外交的ボイコットすべき理由

岸田首相は、北京オリンピックの外交的ボイコットについて「総合的に勘案し、国益の観点からみずから判断」すると言っている。米英豪加が外交ボイコットを表明している中、他国の動向を見極めているのだという。

そんな対応でいいのだろうか。私としては、もっと積極的に、もっと素早いタイミングでボイコットを表明するべきだと考えている。その理由を述べてみたい。

まず第一に、ウィグルでの人権侵害は非常に深刻な状態である。これに目をつぶってていいのか、というのが根源的な問いかけである。

ウィグルで起きていることに関しては、こちらを参考にしてほしい。

オリンピックは「平和の祭典」と言われる。であれば、それは政治の世界とは切り離せない。なぜなら、平和を担保するのはスポーツではなく政治だからである。政治なくして平和はなく、平和なくしてオリンピックもない。

スポーツの世界に政治を持ち込むべきでない、とはいうが、現実は逆である。政治イベントとして、スポーツをやっているのがオリンピックである。政治的理由でボイコットするのは自然なことである。

ましてや、ウィグルで起きていることは深刻な人権侵害である。政治的立場の違いなどではない。これを放置しては、平和の祭典も何も、あったものではない。

第二に、いまは米英と強調して中国を抑え込まないといけない局面だということだ。中国はもはや、覇権主義を隠していない。はっきりと世界の覇権に挑戦している。もし中国が覇権を握るようなことになったら、世界中がウィグルになってしまう。日本とて例外ではない。

ましてや日本は、領土すら脅かされているのだ。これは主張の違いなどではない。中国ははっきりと、軍事的に脅してきている。事実上、敵国と考えるしかない。

安倍首相が提唱した「価値観外交」にアメリカが乗ってきているのが今の「人権外交」である。自由・人権・民主主義・法治主義といった普遍的価値観を共有する国が一致団結し、専制主義国家に対抗しようということだ。アメリカとて、中国の覇権をなんとか抑え込もうと必死なのだ。これは日本にとってはありがたいことだ。

それなのに、言い出しっぺの日本が腰が引けて、どうするというのだ。

そして第三に、日本は本来、米欧を引っ張っていく立場ではないのか、ということだ。

日本は中国とは地理的にも近く、経済的結び付きも強いから中国に一定の配慮をせざるを得ないという。しかしこれは逆に、もしも中国がこれ以上モンスター化するようなことがあったら、欧米よりも日本がより直接的な脅威にさらされる、ということだ。最前線は米欧ではなく日本なのだ。

であれば、むしろ日本が最も積極的にアクションを起こしていいはずだ。

今回に限らないが、報道を見ると日本はいつも「米中の板挟み」にあって「難しい対応を迫られている」ことになっている。なぜいつもこう、受け身なのか。

日本は民主主義先進国の中では経済力も人口もアメリカに次ぐ第二位である。本来、自らの力で世界を動かせるはずだ。

現状、アメリカとは協調せざるを得ないし、その方が得策でもある。が、アメリカやイギリスと組んで仏独に対応を迫るくらいの国力はあるはずなのである。そんな気概が全く見えないのは残念でならない。

最後に、歴史的意義を考えてみる。

1989年の天安門事件の後、外交的に孤立した中国を助けてしまったのは、他ならぬ日本である。直後のG7で日本だけが中国への宥和を訴えたし、中国の外交復活は天皇陛下の訪中であった。いわば日本の対応が、今の中国を作ってしまったともいえる。今度こそ、間違えてはいけない。

もっといえば、ここで中国に配慮するなど、第二次世界大戦の愚を繰り返すのに等しいと考える。あの時代、日本はヒトラーやムッソリーニと同盟し、スターリンと不可侵条約を結んで米英と戦争した。独裁者と組んで、民主主義国と戦争してしまったのだ。

しかも大局的に見て、本来の脅威はソ連だったはずである。ソ連の南下政策こそ、警戒すべきだったのだ。しかしそのソ連を信用して、本質的な対立はないはずの米英と戦った。しかも結果は悲惨である。

もう二度と、あんな愚を犯してはいけない。

以上が、私が外交的ボイコットすべきと考える理由である。この北京オリンピックの対応は、もしかしたら歴史の転換点かもしれない。

他国の動向も大切だが、日本の本質的な利益を見据えて判断して欲しい。


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