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自分だけの特別なもの

数日前のこと
車で出かけている時に
隣を通り過ぎて斜め前に出た車のナンバーが
私の誕生日の数字だった。

例えば今日が誕生日だとしたら626というナンバー。

自分の誕生日の数字は、それだけが光って見えてるかのように
浮き上がって私の目に飛び込んでくる。

ゾロ目でもないし、私以外の人にとっては、ただの数字が並んでるだけの、何の意味もないナンバーだ。

家でもデジタルの時計が誕生日の数字になるのをたまたま目撃した時は(たまたまというのが大事)
自分の誕生日を声に出してアピールする。
そうすると「おめでとう」と言ってくれる。
我が家の暗黙のルールのようになっている、

ダンナサンの誕生日の数字を目撃した時にも、私は声に出して教えてあげ、おめでとう!と言ってあげる。
でも、なかなか受け入れてもらえない。
誕生日の日にちが一桁なので、間に0がはいらないとダメらしい。
そんな細かいことを。
ストライクゾーンを広くしといた方がお得なのでは?
と思うけど、0がないと自分のものではない感覚は、本人しかわからないものだから仕方ない。

私はというと、自分の誕生日の数字の並びがてれこになっていても(順番が入れ替わっていても)その数字が入ってるだけでときめく。
なんでもありだとか
ルールが緩すぎとか
全部もっていくなぁとか
言われても仕方ない。
ときめくのだから。


誕生日って自分では選べないと思っている人も多いかもしれないけど、そうではないって説を私は信じてます。
誕生日も自分の名前も、誰の元に生まれてくるかも
全部自分で選んできている
私はそっちの説がしっくりくるし、信じています。
(その話はまた別の機会に書けたらと思います)


ゾロ目でもない
なんの意味もない
数字の並び
自分の誕生日
その数字の並びが私にだけは、かっこよく見えて、特別で、きらりと光ってる。

そう感じるようになったのは、大人になってずいぶん経ってからですけど。


誕生日の数字を見る時は
宇宙からのメッセージ

それでいいよ
応援してるよ
そばにいるよ
とか
自分にしかわからない何かかも。


何年か前
ひとりで車を運転していて
その時、仕事中で、忙しい毎日で
夕焼けがめちゃくちゃきれいで
空の美しさと自分の心の孤独さのギャップが悲しくなって涙が出て
そしたら、目の前に車が割り込んできて
その車のナンバーが私の誕生日だったのです。

ひとりじゃないよ

そう言われた気がしました。

一人でいても誰かといても
孤独を感じることってあるけど
そんな時もひとりじゃない
と宇宙がくれたメッセージ。
そう感じました。

そのあと、仕事で向かった先の駐車場で
車から降りて、
空があまりにきれいだからダンナサンに電話をしようと携帯を持つと、同時に電話が鳴って
第一声が
「空がすごいよ!」
でした。


数日前の車から見た私の誕生日の数字
その数分あとにダンナサンの誕生日のナンバーの車が。
教えてあげると
ホントだ!
と。
本人納得の0が入った誕生日のナンバーでした。

この時、2人で話していた会話が誕生日に関係ある話で(お互いの誕生日のことではなかったけど)
2人の会話を宇宙が聞いていたような
そんな気持ちになりました。

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