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日常を切り離す瞬間

私は定期的に山に登ります。と言っても、近所の里山などが中心です。私にとっての高山は筑波山かな…(youtubeなどを見ていると、1000m以下の山は低山と呼ばれている…結構登るの大変でしたよ。)山登りを続けていくうちに、「次はあの山に挑戦だ!」となるかと思っていましたがなりませんでした。あくまで気分転換要素のひとつのようです。

景色などの外的要素でリラックスもありますが、続けているうちに一番はこれだな、と感じたのは「次に足をどこに置くか」しかほぼ考えてないという事です。次の瞬間の事しか考えていない。これって日常ではないな~と思います。

日常では、一日を時間で区切ってどう過ごすか、どのように仕事を進めるかなどを考えたり、長期的には老後をどうするか、老後の為にという事まで…もしかしたらこないかもしれない時間まで考えて、不安にまでなったりする。なんだか息苦しいですね。なんででしょう。

突然ですが、私は人よりも動物に友好的です。尊敬の念もあります。とにかくやつらは「今を生きる」を素でやってのけるからです。人はいつの間に未来を心配するようになったのでしょう。先日TVの特集で見た人類学者は、言葉を獲得して、農耕で定住し備蓄をするようになったあたりから戦争が始まったと言います。今や言葉も武器になるし、実際に戦争も起こっているし、人が構築してきた世界が悪い方に働いている気がしますね…。戦争がなかった時代もあったのだと考えると、その日を生きるために生きていた方が結果幸せということでしょうか。

のほほんと山登りしても何も生まれないじゃない、という資本主義の世の中ですが、「今を生きる」しかない時間を過ごすという、なんだか不思議な体験です。


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