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幸せじゃない人

2007/10/04
(この記事は2007年、母が、まだレビー小体型認知症と診断される前のものです)


なんやかや、公私ともに忙しかった9月。それなのに10月に入って、たまたまこの一週間、穴に落ち込んだように、ゆとりがある。ルーティンワークはあるけれど、それ以外のところが、まるで誰かに操作されているみたいに、時間が空いたのだ。

でも、残念ながらヒマではない。月曜、火曜と母の用事に立ち会ったり付き添ったり、火曜日の晩には「明日お客さん来るの?」と、あやうく水曜日まで縛られるところだった。水曜日は前から予定が入っていたのでしっかり断った。でも水曜日の夜は夕飯当番の日だし。

そして今日は、渋谷のほうの病院まで付き添い。往復はタクシーだ。歩けない母と運転できなくて車もない私では、それ以外に術がないのだ。

担当の女医さんはすごく気さくな方。一年に一回、検査をするためだけに通っている。「お嬢さん3人が傍にいるなんて、幸せじゃないの~!」と医師は言う。「何がそんなに心配なの?」と母に訊く。

母の受け答えは明らかに去年までのものとは違う。目が一点を見つめていて、動かない。顔も身体も固まっている。声もよく出なくなった。

「水中ウォーキングとかどう? もっと高齢の方がやってるわよ」と医師は勧めるが、考えるまでもなく、100%あり得ない話だ。強引に誰かに誘われてでも始めるような母だったら、75歳の若さでここまで衰弱していないはずだ。

火曜日に行って聞いたクリニックの検査結果では、尿検査も血液検査も、どこひとつとして問題なし。いくらか貧血気味という程度。もともと丈夫な人なのだ。「なんでもやってもらってるんでしょ? 甘えてるのね?」と医師は冗談まじりに言う。

今日は私が医師とも話して、一度脳のMRIを撮ってみようかという話になった。

診察が終わって「お腹が空いた」と母は言う。ビルの中にある、中華もイタリアンも和食も、母はろくに食べられやしない。外に出て歩くこともできないので、ビル内の珈琲館に入る。母はアメリカン珈琲とホットケーキを食べる。

昨晩うちに来て夕飯を食べた時も、ちょっとムカつくくらい食べない。少し前までは食べ切れないと「ごめんね」と言って、「明日食べるから持って帰るわ」とか言ってたのに、無言で半分くらいお皿に残し、何も言わない。サラダも箸をつけて、そのままほとんど残す。何を食べて生きているのかわからない。

母はとにかく我儘な人だ。「卵って好きじゃないのよ」「マヨネーズは嫌い」「ケチャップって好きじゃない」「マグロは赤身でなくちゃ食べられない」「魚は嫌い」「肉がかたくって。ヒレのやわらかいのをほんの少しでいいのよ」等々、挙げたらキリがない。

人から見たら恵まれているのに、ちっとも幸せじゃない人間っている。親の生き様を見て、老い方を見て、日々考えさせられることばかりだよ。

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