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回想法

2008/04/11
(この記事は2008年、母が、まだレビー小体型認知症と診断される前のものです)

回想法(reminiscence/life review)とはアメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法である。主に高齢者を対象とし、人生の歴史や思い出を、受容的共感的な態度で聞くことを基本的姿勢とする。個人に対して1対1で行う個人回想法とグループで行われるグループ回想法に分けることができる。回想法は心理療法の一つとしての利用のみならず、アクティビティ、世代間交流や地域活動として利用されることが多い。
<ウィキペディアより引用>


私は今、回想法を扱っているある団体の、通信講座を受講中だ。課題のひとつとして、自分自身の回想録と、誰か周りの高齢者の回想録を仕上げることになっている。

自分自身のものはだいぶ前に仕上げたのだけれど、どうしても母の回想録がなかなか進まない。私の中に、小さな抵抗があるからだということは分っている。

母の今までの人生を振り返りながら、改めていろいろなことを想う。

人生の様々な場面について訊ねていると、ほとんど憶えていない、あるいは特別な印象を持っていない場面と、とても嬉しそうに長々と語られる場面との差が、あまりにも歴然としている。

質問にはない、そのときの母の気持ちを私は訊ねてみるのだが、母はほとんど言葉が出てこない。「忘れちゃったわ、そんな昔のこと」と言う。例えば、家庭や学校で褒められたことはどんなことか訊くと、「褒められたことなんて、ないわ」と頑なに言う。

それでも訊いていくうちに、小学校ではあらゆる場面で目立つ役に抜擢され、常に脚光を浴びてきたことが改めて浮き彫りになる。それでも、褒められたこととして、母の中には刻まれていない。おそらく口下手だった両親から、そういった言葉をもらうことはなかったのだろう。

可愛くて利発で身体が大きくてハキハキしていた母は、先生のお気に入りだった。決して自分からは名乗りをあげなかったというが、それでも母は本当は目立つことが好きでたまらなかったのだと思う。

魚河岸でお手伝いをしていた束の間に見初められて、3ヵ月後に夫となる男の一族から猛烈に口説き落とされたあたりのエピソードを、延々と私は聞かされる。

人から美しいと評価された記憶は、今でも母を夢中にさせる。それなのに、子供が生まれたときの自分の気持ちは、憶えていないという。「そりゃ一人目は、初めてだったから嬉しかったわよ」って。ほとんど、それだけだ。

家庭生活で苦労したこと、夫婦で頑張ったこと、といった質問にも、母は「べつに…」と首を傾げる。何か引き出そうとして、いろいろと言い方を変えてみたり、ちょっとしたエピソードを持ち出してみたりするけれど、母の反応はない。経済的に安定していたし、父は家計のいっさいを自分が管理していたから、母はただ受け身のまま、父に服従している生活だった。

ライフレビューインタビューは、この後、シビアな質問も増えてくる。ひとりの人間として生と死をどう見つめ、家族や知人に何を伝え、どんな言葉を遺したいのか、そういった質問が続く。死生観や宗教観といった、観念的な問いかけもある。私は自分の回想録を書くのに、ずいぶん泪を流してしまった。

これから、母がどう反応し、どう応えていくかが、楽しみなような、気が滅入るような、そんな気持ちだ。

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