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病棟風景

2008/11/24
(この記事は2008年のものです)


寒いです。寒がり冷え性の私には、今日のような冷たい雨は辛いです。小手指のホームで電車を待っていると、吐く息が白い。ああ、もう冬なんだわと想う。

病棟は暖かくて、母はまだ、ほとんど中身の入っていない薄々の羽毛肌掛け一枚で、夜も寝ているという。

母の食欲は相変わらずで、病院に滞在している2時間ほどの間に、おせんべや柿や林檎やチョコレートや大福や、いろんなものを食べる毎日。「ソーセージが食べたい!」という母のリクエストに応えて、先日姉が温めた状態で持参した。

「…ハム! ハムが食べたいっ!」と、今日も泣きそうに眉間を曇らせて訴える。はいはい。次はハムですね。

今日は午後2時ごろ、「お昼ご飯、食べたっけ?」と私に訊く。う、やっぱりそうなったか? と一瞬焦る。そのうち「お腹空いたよ~!」と叫ぶ人になったらどうしようかと思ったり。

病棟内にはいつも、大きな声で叫び続けている人がいる。女性も、男性も、いる。言葉を発していたり、声だけだったりする。そして病室の中からナースコールをして、「お願いします! お願いします!」と大きな声で呼び続けるお爺さんもいる。

このお爺さん、トイレに行きたくなると、コールをしながらきちんと言葉に出して【お願い】するのだ。するとナースがやってきて、車椅子でお爺さんをトイレに連れて行く。「終わったら呼んでくださいね~」と言ってその場を離れる。

少しするとお爺さんは必ず、コールを押し続けながら「終わりました、お願いします。終わりました、お願いします」と、ナースが駆けつけてくれるまで、ずっと同じ声量、同じトーンで言い続けている。

「はいは~い!」とナースがトイレに迎えに行くと、今日は「大便です。お願いします」と、きちんといつもの声で言う。なんとも可愛くて、礼儀正しいお爺さんだ。

母の隣のベッドのお婆さんは、歯がまったくなくって入れ歯ももうしてなくて、いつもいつも口を巨大に開けて、ただ寝ている。痰の吸引&胃ろう。いつ見ても100%寝ているように見えるので、正直、何のために生きているのか、傍からはわからないようにも見える。悪いけれど、生かしておくのが残酷なようにも、感じられてしまう。

それでも今日、60代の娘らしき女性がやってきて、「寝てたの?」とお婆さんに訊き、それからなんやかや、まったく自然に、長いこと話しかけていた。娘が一方的に話しているのではなく、明らかに母親と会話しているらしい雰囲気が伝わってきた。

あんなふうに見えても、心はしっかりとまだ、生きているんだなあと改めて感じる。あのステージに到達するまでにはまだ、母にはずいぶんと時間が残されているような気もする。

生きている、というよりも、半分は生かされている、ということが、そういう在り方を選択するということが、良いことなのかどうか? 誰かの自己満足のためにではなく、本人のために、望ましいことなのかどうか?

答えを出すのは難しい。

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