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想い出話

2009/5/1
(この記事は2009年のものです)


「この間はありがとう。楽しかったわ」

今日、病室で母にそう言われた。ほんとうにそんなに楽しかったのかどうか、その日の母の表情からはまったくわからなかったけれど、それでも娘やら孫やらに囲まれて、久しぶりに病院の外に長いこと出ることができたのだから、やはり嬉しかったのだろうとは思う。

去年の夏からの母の境遇を、自分のこととして置き換えて想像してみたら、どれだけ哀しく辛いことかと、改めて想ってみたりする。

年齢は違うし、家族環境も違うのだから比べようがないかもしれないけれど、もし自分がこんなにも短期間に変わり果て、あらゆる身体の自由を奪われてしまったら、はたして今の母のように気丈でいられるかどうか、分からないと思う。

パーキンソン症状の強い母は、大きな声が出ない。ナースに向って囁くような声で褒め言葉を投げかけ、冗談を言う。スタッフの名前をフルネームでほとんど記憶し、その人のキャラクターに合わせて、自分の対応をきちんと変える。キツイ人には従順に、明るくユーモアのある人には自分もおどけて見せる。母の特殊な才能だと思う。

母は、自分の父親のことが大好きだった。私もお爺ちゃんが大好きだった。
お爺ちゃんは私がものごころついたころには総入れ歯だったから、いったいいつからそうだったのか母に訊いてみた。母も憶えてはいないけれど、「おじいちゃんが歯を磨いている姿なんて見たことないわ」と笑う。

幼稚園入園前の私は、毎日のように迎えに来てくれるお爺ちゃんに連れられて、散歩に出かけた。お爺ちゃんは優しくて、いつもお菓子やさんで、お菓子を買ってくれた。猫の容れものに入った金平糖(逆さまにするとニャーと泣いた)だとか電車セット(中に切符とか切符切りハサミが入ってた)だとかを買ってもらった。

甘いものが好きだったお爺ちゃんは、私にも気前よく甘いものを与えたから、私は3歳の頃には前歯がほとんど虫食い状態の味噌っ歯だった。

お爺ちゃんは「おんぶ」と私が言えばいつまでもおんぶをしてくれたし、公園の前を通れば公園で遊ばせてくれたし、お爺ちゃんに怒られたことなんか一度もなかった。

そんな話を母にすると、母は嬉しそうに微笑んで、遠い目をする。「そうよ。私も一度も怒られたことなかったもの」と、母は言う。

母のお気に入りのエピソードを、私はいくつか知っている。母の中の記憶の宝石箱を、もっと頻繁に開いてあげたいと思う。

「ブルーの鳥がいるのよ」
母は天井のほうを見て、目をぱっちりと開く。

「ピンクの鳥じゃなくって?」と私が訊くと、「ピンクの鳥はあそこ。あっちにブルーの鳥よ」と、母は新しく美しいものを見るような眼差しで、天井を見つめる。

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