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疲労

2008/09/18
(この記事は2008年のものです)


病院からの帰り道、自分がどうしようもなく疲れていることに気づく。

一昨日まで口数が多く、空腹を訴えていた母が昨日、朝からまた発熱した。お昼頃には38度台になったらしく、血液検査の結果、肝臓の数値が著しく悪化していることが発覚したとのことだった。

昨日の夕方4時半ごろ、病院に到着した時、ベッドは空っぽだった。ナースに訊くと、検査に行っているという。ストレッチャーで病室に戻ってきた母は、目をつぶったまま反応しない。若い主治医(まだ研修医)から説明を受ける。

胆嚢炎だという。胆石は見当たらないけれど、明らかに炎症が起きているという。しかしなんら痛みはない。熱だけがあり、時々震えが起きる。「熱が上がるんだわ」とナースは言う。点滴の針のところの傷近く、皮膚が赤く腫れて熱をもっている。皮膚科の女医は、今回の発熱に対して何かいいわけがましいことをまくしたてる。内科の主治医が目配せし、「胆嚢から来てますから」と言う。「じゃ、プライマリーってことじゃなくセカンダリーってことね」と女医は曖昧に誤魔化そうとする。気分が悪い。

主治医に危険度を尋ねると、大丈夫だという。胆嚢炎というのは重い症状ではあるけれど、抗生剤の投与で治るはずだという。まれにどの抗生剤も効かない菌はあるけれど、という。

母の額に触れても声をかけても反応しない。それでもナースの問いかけにはどうにか応じる。手足がガタガタ震えるので「寒いの?」と訊くと頷く。薬を飲ませるというレベルではなく、なす術もなく、だけど周りはいたって冷静なので、私はナースに一言声をかけて帰宅。

ネットで調べると色々な不安が押し寄せる。軽井沢から帰宅した姉に話すと、姉が急に不安がる。眠っていると思っていたけれど、あれはひょっとして意識レベルが低下しているのではないか? 等々…「今から病院に行こうよ」と、姉が言う。結局夜の9時半ごろ、姉の長男の運転する車で病院へ。

夜勤のナースは「ご心配なら付き添って構いませんよ」宿直の内科医に話を聞くと、カルテをみたうえで一般論を話す。普通は手術であること、体力を考えるとできないこと、明日ドレナージを行う可能性はあること、ここを乗り越えられるかどうかは本人の体力次第であること、最善の努力をすること。そんな厳しい言葉を裏付けるように、母は時々顔を歪ませながら、口を大きく開けて何の反応もしない。姉は泣く。姉が泣くから私は泣けなくなる。

「何かあったらすぐにお電話しますから」と、三女である私の電話番号を第一連絡先にしてあるので、ナースが番号を確認する。

帰宅してからも、私が寝付けないのは言うまでもない。
今までのいろんな思い出が頭の中を巡った。

最後に母と外でお茶をしたのは、アデンランスの帰り道、三越で車椅子を借りて買い物し、甘味やさんであんみつを食べたんだっけな、とか。お葬式のことだとか、喪服のことだとか、緊急連絡先を控えたメモはどこへやったっけ? とか。寝付けないまま夜中の3時ごろトイレに行き、その後どうにか眠りについた。

5時半過ぎに起きて、お弁当をつくって、憂鬱になっている息子を見送って、8時に姉と家を出て、タクシーに乗って、病院へ。

母は相変わらずだ。ゆうべは39度5分まで出たという熱も、朝は7度台に下がった。だけど午後にはまた9度近くに上昇。仕事のため9時半に姉は帰宅。私は今日仕事がなかったので、結局夕方まで、ずっと病室に付き添っていた。

夢をみているのか母は、腕をいろいろに動かす。何かを掴もうとしているので、私が手を握る。母が目を開け、「あっちゃん。あっちゃん」と、小さいけれどしっかりした声で私に呼びかける。

「あっちゃん」と言うので「なあに?」と訊くと、「あっちゃん」と、くっきりと私を見つめて言う。このまま死んじゃうような気がして、「お母さん」と、額を撫でながら呼びかける。すると母はまた、すぅっと目を閉じてしまう。私はしばらく泪が止まらなくって、こっそりと鼻をかむ。母は聞こえているんだかいないんだかわからないけれど。

学校がえりの息子が病院に寄って、母を見つめると、母は眼をしっかり見開いて、長いこと息子を見つめる。最近私経由で母からおこづかいをもらったお礼に、息子が「ありがとう」と言うと、母がゆっくり手を上げるので、息子がその手を握る。母はじっと見つめながら小さく頷いて、眉間を曇らせて涙ぐむ。

私と息子だけがやたらに感動的なシーンを演出して、二番目の姉と交替し、病室を去った。母はもしかしたらもう、本当に死んじゃうのか。あんなにイヤがっていた病院で、死なせてしまうのか。

そんなふうに胸がいっぱいになっていたら、病院から戻った姉が報告しにやってきた。母はその後、すっかり元に戻ったとのだという。声は小さいものの、いつもどおり口うるさく、我儘で、注文が多い。お腹が空いた、あそこが痛い、あれを塗れ等、何かと不平を漏らし、注文をつけ始めたという。とりあえず、胸を撫で下ろす。

今回の胆嚢炎は、本来のレビー小体病とは直接の因果関係はない。まったく別個に突発的に起こったことだという。だけど抵抗力が弱っていると、きっとこうやって何かしらのアクシデントが起きて、あれよあれよと言う間に激変するのかなという気がする。

これからまだ、いくつもの山を越えるのだろうか。
越えられるのだろうか。

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