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2021年の振り返りと、2022年と。

ーー激動の1年だったーー

そんな安直で、ごく当たり前な総括では終わらせてはいけない。

1年は長い。
そりゃ、毎年何かしらの変化はあるよ。
だからこそ、何を考えて何に取り組み、何を成し遂げたのか。
そして、そのとき何を思ったのか。
考え出す作業はけっこう大事。

去年もターニングポイント。今年もターニングポイント。
毎年ターニングポイントだと思う。


2021年の目標

2020年の年末と2021年の年明け。
同じように1年間を振り返り、その1年の目標を立てた。




「ボドゲフリーランス」「PRや地域活性化を目的としたアドレスホッパー業」
なにより「かとちゃん」というブランド・サービスを確立することが、最優先目標だった。


ボドゲフリーランスとしての2021年

だけど、全然うまくいかなかった。
正確には、うまくいったときですら、結果に納得できなかった。

思ったよりはできた気がする。多分悪くはない。1年目にしては上出来だった。

「ボドゲやらせてください!」と営業をかけたり
「ぜひ来てください!」と依頼を受けたり。
泊っている人を勝手に集めて、「こういうことやってるんです!」って売り込んだり。

地元メディアにイベント掲載をお願いしたり、ジモティーでイベント参加者を募集したり。

自分の取り組みを「面白い」と評価してくれる人とたくさん出会えた。
「今回は行けませんが、また開催するときは連絡ください」と言ってくれる方もいた。

「やりたい」と言えば、応援してくれる人がたくさんいるのだと知った。

めちゃくちゃ、嬉しかった。
自分の”面白い”と思うものが評価されている。

開催前はちゃんとできるのかな、楽しんでもらえるのかな、って毎回不安だったけど、来てくれた方の笑顔で「ああ、やって良かったな」って心から思う。

自分のサービスを販売する面白さと大変さ。
両方を経験できたのは大きな収穫だった。


一方で、これって意味のあることなのかな、と思ったのもまた事実だった。

自分がやりたかったのは
「人のつながり」「仲間」「安心感」「良い方向に向かっていく」といった概念の「0→1のきっかけづくり」であって、ボドゲで楽しんでもらうことではない。

「楽しかった」という言葉の裏には、”消費コンテンツ”としてボドゲ遊びを提供していることを意味している気がして。

あと、「あっ、この人が参加してくれたから場が盛り上がってるんだな」とか
「自分の提供しているコンテンツを評価してくれているのではなく、自分の頑張りを評価してくれているのか」など、周りのやさしさに支えられている部分が大きくて。

ー若者のお遊戯発表会に参加してくれる大人たちー
そんな猛烈な違和感を感じていた。

結局、
生計を立てる価値提供には至ってないな、って思った。
それが6月のあたり。

細々と続けていこうとは思うけど、注力するのは一旦お休み。
優先順位は高くない。


なにが好きで、なにが嫌だったんだっけ?


2021年、ボドゲフリーランスの他に、もう一つ重きを置いたことがあった。



このころは、多分けっこう病んでいた。

自分の人生には絶望的に何かが足りなくて。
でもその何かが分からなくて。
どうすれば見つけられるのかすら分からなくて。

心の穴が
どこに開いているのか
なぜ開いているのか
どうすれば修復できるのか
満たしたいものは何なのか。

全くわからないのに、時間だけは浪費していた。


あれ?自分の幸せってなんだっけ?
あれ?自分って何が楽しくて生きているんだっけ?


そんなごく”当たり前”の、
本来、人生の中心に据えるべき”自分”すら見失っている、空っぽの自分に気づいたのだった。

それから自分の”好き””嫌い”を取り戻せるように。
起こった出来事に対する感情を噛み締めた。

それこそ、”史上最高に向き合った”はずの2020年以上に、丁寧に。


そうすると見えてくる幸せがたくさんあった。
大好きな人たちと旅行に行くこととか、帰る場所があることだとか、誰かに評価される喜びとか、自分のためになにかしてくれる人がいることとか、逆に自分ができることをお手伝いできたときや、何かに熱中して時間を忘れることだとか。

今まで見逃していたものから、すっかり忘れていたもの、初めて経験するものまで。

そうすると「これがあれば生きていける」「これが楽しくて生きているんだ」が分かるのと同時に、
「これがあると楽しくないな」「これがないと生きてて惨めになるな」ってものも見えてきて。
例えば、
誰にも必要とされていないこと、結果がでないこと、お金を稼げていない、力んでしまう環境、寝不足とか。

そして、自分がどうありたいのかとか、どうして自分がこの状態にあるのか、とかにまでぼんやりと思考が寄ってきて。

ここまでくると、上手く言葉にできない部分も多いし、全部を公開する必要もないのだと思う。
あと、まだわからない部分も多い。
だけど、確かにそこに感情や意志は存在していて、自分の本心を感じられたのは良かったことだと思う。


自分はなにができるんだっけ?in2022


「自分の好き」を思い出した2021年。
2022年は「自分の得意・できる」を”思い出す・知る・作る”1年を過ごしたい。

自分が「誰かに対して、なにができるか」「組織やチームの中で、なにができるか」を考え、取り組む1年。

就活を辞めたときから
ずっと「一人でやること」にこだわっていた。
それが正義だと思っていた。

そして、誰かとなにかをやるのが怖かった。
「自分を評価してもらえないんじゃないか」とか、「なにもできない自分は価値がないんだ」とか。

だけど、「これでいいのかな?」って悩んでいるのは「良くない」って思っていることの証拠だし、ひとりでやり続ける能力も覚悟もない。
もっというと、ひとりでやる必要もないのだ、とすら思う。

ただ、そうすると「自分はなにができるか」を明確にする必要は絶対にあるわけで。
自分のできるを見つけたり、増やしたりする期間として活用したい。

22歳から見る”24歳になる年”は「結構おっさんじゃね?」って思うけど、社会全体から見る24歳は多分、まだまだ若い。多分。

そして、”なにができる?”を見つける中で、自分が携わったり、作り上げたりしたい概念。
「温かい・自分らしさ・エモい・安心感」に出会うことが2022年、裏の定性目標だったりもする。

それが何かは分からない。
概念的で、モヤモヤしたイメージでしかないけど。
“持続する幸福”みたいな。

ここも探っていければと思う。


「自分は絶対にできない。向いてない」
そう思っていたごく普通の幸せ。

12月30日におばあちゃんが、アイスを大量に購入し、
嬉しそうな顔で、ごめんなさいね、と店員さんに謝るような。

そんな優しい幸せに出会えるように。

今年もよろしくお願いします。


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