1/29(気が滅入る、死ぬ度胸、その日の天使)

ここ最近、いろいろあって滅入っている。あまり睡眠もとれず、気分が悪い。修論は提出したもののまた直さないといけない。就活のことも言われてほっといてほしいと思った。進路のことが気になるんだろうが、別にどこか紹介してくれるなら紹介してほしい。ストレスなのか何なのかよくわからないが頭痛がひどい。自分が結局何がしたかったのかわからなくなった二年だった。死んでしまいたい。

自分には死ぬ度胸がないのでは?と思う。どんな人間でもそうなのだけど。飛び降りも電車に飛び込むのも痛すぎるだろうと。そんなこと考えると気軽に死のうなんて思えない。睡眠薬を大量に飲んで緊急搬送、というのは良く聞くが、そんな大量に薬を飲めるほど喉が太くないので無理と思ってしまう。昔の知り合いに精神安定剤を大量に飲んで搬送された奴がいる。OD癖があるからか三回目の搬送らしく、胃の中を洗浄され担当医に激怒されるということらしい。一回三万くらい治療費が請求されるという。そんな大変な思いまでして死にたいと思わない。                               私は人の死の際に立ち会ったことがある。祖母が危篤になったとき、医師が症状を説している最中に亡くなった。心電図の音が「ピー」と聞いたことあるような音を立てのこぎりのような波でなくなり平坦になった。説明中の医師が付き添いの看護師に心電図を止めるように指示を出した。医師からは「ご存じのように、今お亡くなりになりました」と言われた。あっけない。人の死は思ったよりあっけないと感じた。

中島らもの「その日の天使」というエッセイがある。中島らもはアルコール中毒で薬物依存だった。仕事に追われるたびにアルコールや薬を過剰に摂取していたらしい。お酒を水のようにのみ、薬をおつまみのように食べていたという。                                   

“その日、その日に一人必ず天使がいるんですよ。
それは、駅のホームにいる駅員さんだったり、売店のおばちゃんだったり。
ただ気付かないだけなんですよ。”ー中島らも その日の天使 より

どんなに絶望の淵にいたとしても、その日一日救いをもたらす人やモノがあったりするということなのだろう。それがなんなのかは人にゆだねられるんだろう。                              実家にいた時、猫を飼っていたときは、猫が「その日の天使」だっと思う。自分にどんなに嫌なことがった日でも、猫は食っては寝てごろごろしてるだけ。あとは毛玉を吐いて床をげろまみれにする。人がこんなに困っているのになんで吐くのか。気ままなもんだなと。そんな飼い猫も去年死んだ。突然死んだ。体も悪いわけでもないのに突然死んだ。その日の天使がいなくなってしまった。気分が落ち込みペットロスを患った。実家に帰っても猫の姿はない。勝手口を開けると、いつも飛び込んでくる猫もいない。ああ死んだんか。と実感した。靴を入れている棚に猫用ブラシも無造作に置かれているのが寂しさを一層増している。その隣にはゴルフボール大にまとめられた猫の毛が置いてあった。猫が死んでも毛玉はそのままである。また寂しくなった。


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