読書の良さは、点と点が線で繋がること
なぜ本を読むのか
「栗城さんは本をたくさん読んでいてすごいね」と言われることがあります。
変な話ですよね。私にとって、本を読むのもゲームを遊ぶのも大して変わりはないのです。好きだからやっている、ただそれだけで。
本をたくさん読むことを褒める人がいるのなら、「ゲームをたくさん遊んでいてすごいね」と褒める人がいたっていいと思うのですけどね。一体、いつから本を読むのは高尚な趣味になったのやら。
そもそも私は、「現代人は必ず本を読まなければいけない」とも考えていません。
文字がいいのか、動画がいいのか。それは人によって向き不向きがありますからね。私はたまたま、文字のほうが吸収しやすかっただけの話。YouTubeの動画で何かを学ぶのが、本を読んで学ぶのに劣っているとも思いません。
ただ、あえて本を読む理由を「好きだから」以外に考えるなら、それは「点と点がつながる瞬間があるから」なのかもしれません。
星がつながり、星座になるように
ここでいう「点」とは、「知識」のことを指しています。
本に限らず、新しい本や新しい動画、新しいゲームに触れる度に、全く予想もしなかった場所から共通点を見出すことがあります。
例えばなんですが。
タローマンがブームになっていたのをきっかけに、岡本太郎さんの著作『自分の中に毒を持て』を読んでいた時、こんな記述を見つけました。
で、これを読んだ後、細谷功さんの『「具体⇔抽象」トレーニング』を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
前者は自分自身の言葉について、後者は人と人とのコミュニケーションについての話題ですが、どちらも「言葉が持つ不安定性」について触れており、重なっている部分が見受けられます。
自分の思っていることを表現するのは難しい。全然いい言葉が見つからず、もどかしく感じてしまう。さらに言えば、かろうじて形にした言葉を、他者に正確に理解してもらうのはもっと難しい!
よくよく考えると、言葉って、実はとんでもなく不安定な存在じゃないか?
思いが言葉になって、それが他者に伝わっているだけでも、奇跡みたいなものじゃないか?
視点は多少違えど、両者の主張の根っこは結びついているのです。
こんな感じで、本を読んでいると、全く関係ないはずの内容から、ちょっとした接点が生まれることが多々あります。知識と知識の間がどんどん線でつながっていき、気がつけば巨大な網の目のようになっている。
私が本を読んでいて一番心が踊るのは、実はこの瞬間なのです。
インターネットと本の微妙な違い
ここまで読んで、「その感覚はインターネットで得られないの?」と思った方もいるでしょう。
結論から言うと、全くないとは思いません。ただ、インターネットの特性上、難しいのも事実です。
なぜなら、インターネットは検索エンジンを用いる場合、疑問が浮かんだら答えにすぐ直行できてしまうからです。便利な半面、良くも悪くも「無駄」がない。
本は他者が書いているので、多かれ少なかれ「無駄」があります。自分が知りたかったことに至るまで、やたらと回り道を歩かされる一方、その過程でたくさんの知識が頭の中に入ってくる。
そういった偶然性があるからこそ、様々な知識が蓄積し、つながっていく面白さを味わいやすいのです。ある意味、タイパが悪いとも言えますが。
とはいえ、インターネットに一切無駄がないかというと、そうでもないですよね。
まさにnoteがいい例ですが、自分が知るつもりのなかった、それどころか認識すらしていなかった知識が、ある日突然目に飛び込んでくる場所がある。
そんな時、岡本太郎さんの言葉を借りるなら「なんだこれは!」とワクワクした目で見られるか。そういう心構えが大事なんじゃないかと思うのです。
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